祖父母のこと、出征の日

ありがとうな毎日 seeding of the happiness

小学3年生くらいの時だったか、
祖母が大切に持っていた一枚の写真を
見せてくれたことがある。

出征する直前に撮ったという
祖父の写真だ。眉目秀麗、細身で
端正な姿が写っている。

「男前じゃろ、ね」と嬉しそうな祖母。
お見合い結婚だったふたり。祖母は
一目惚れだったのかな、と想像する。

広島県北部の田舎町で生まれ育った
祖父。

この地方では、昔から地元の男性が
集まって「神楽(かぐら)」を練習し、
皆に披露する習慣があった。

祖父が若い頃、ヤマタノオロチに
さらわれる櫛名田比売(クシナダヒメ)
を演じた時は、本当の女性と間違われ、
帰りに出待ちされたこともあるそう。
(ただ、帰りは男のなりだったから
分からなかったはず・・)。

祖母は働き者で、趣味の踊りでは
舞台に出たり、独学だという編み物も
売ってるものを凌ぐ出来栄え。

細かな模様編みも祖母は「適当」というが、
セーターはその人を見るだけでささっと
編み、着てみるとサイズぴったり。

農業と平行して家事も完璧にこなし、
料理も上手。祖母のお寿司や保存食
(すごくおいしくて王道&オリジナル多々)
など習っておけば・・と今にして思う。

さて。

私の知っている二人は
晩年の穏やかな姿のみ。

二人が結婚してまもなく、
祖父が戦地へ向かうことになった時の話を
祖父の弟、大叔父に聞く機会があった。

その話で
今まで知らなかった祖母の姿を知った。

祖父母と大叔父、三人とも今は亡い。
細かなことは忘れたが
思い出せることを書いてみる。

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ありがとうな毎日 seeding of the happiness

祖父が出征する日。

祖母は姑(私の曾祖母)と一緒に、
田舎から宇品港へ向かった。

家で見送ったけれど、
もしかしたら最後にひと目、
遠くからでもその姿を見られるかも
しれない・・と思い、宇品港まで
見送りに行くことにしたのだ。

祖母と曾祖母、
迷子にならないよう、
二人でぎゅっと手を繋ぐ。

港近くはすごい人の群れ。

祖母や曾祖母と同じ気持ちで
来たのだろう、
出征する人の家族や親戚、知人などで
道はいっぱいだった。

沿道から手を振り、
名前を呼ぶ人・人・人・・。

人の隙間から見えるのは、
整然と並んで船の方へ行進する
兵隊さん達。

その時だ。

列の中にいる、
一人の男性の姿が目に入った。

あれは間違いなく自分の夫、と
確信した祖母。
列に向かって走り出た。
近づくと・・やっぱりそう。

気づけば祖母は、
祖父と並んで歩いていた。

上司が許して下さったそうで、
最後まで一緒に行進したとのこと。

これでもう顔を見られるのも
最後かもしれない、と思いながら・・。

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「初めて聞いたわ~」と母。

祖母はこの話を、自分の子供達には
していなかったようだ。

親戚皆で亡き祖父母の墓参りをして、
家に集まった時のこと。

大叔父が「そういえば・・」と
この話をしてくれた。

ありがとうな毎日 seeding of the happiness

祖母が覚悟して見送った
出征の日から時は流れ・・。

南方の激戦地へ向かいながら
辛くも命を得た祖父は、
祖母の元に戻ってくる。

どれだけ嬉しかったことだろう。

それからうちの母が生まれ、
きょうだいが生まれ・・私がいる。

どれひとつ欠けても、
違っていても、今の私はいない。

そのことに重みを感じ、感謝している。

ご先祖様方、
おじいちゃん、おばあちゃん、
ありがとうございます。