今の私ができるまで vol.0

・ものすごい内弁慶
両親以外の人とは、
全くと言っていいほど話せない
子だったため、
父母との思い出しかない。

覚えているのは、
保育園にあがる前くらいの頃、
父と一緒に、ザ・昭和な喫茶店へ
よく行っていた光景。

父はコーヒー、
何がいいか父が訊いてくれて
ミックスジュースや、
プリンアラモードを選んでいた。

ソファに深々と座り、
新聞を読む父の姿をみながら、
私は卓上の丸い入れ物
(星占いが入っていて、コインを
入れると出てくるというもの)や
窓の外を、ぼーっと眺める。

今思えば、母を休ませるために、
休みだった父が私を連れ出して
いたのかも。

家に帰ると、掃除をし終わったか、
ごはんの支度を終えたかで、
のんびりしている明るい母の姿が
あったから。

母と一緒に買い物へ行く時は
決まったコースを通る。

ケーキ屋さんのショーケースを
チラ見、靴屋さんの靴をチェック、
帰りに公園ですべり台をすべるのが
楽しみだった。

(私は全く覚えていないが、
毎回「お母さんも!」といって
母にも一緒にすべるよう強要して
きかず、母は困っていたらしい)

・祖母の有り難い勘違い
2~3歳の頃に、
母と祖母と一緒に街へ出かけた時の
こと。

町中の看板(漢字まじりのも)を見て
次々にそれを読み上げるのを
目の当たりにした祖母が
「この子はすごい!」と驚き、
“神童”扱い。笑
(TVや広告、新聞で見かけた会社
やお店の名を覚えていたのか・・)

それ以来、祖母はずっと、
私のことを賢い子だと
信じてくれていて、
それは大きくなっても同じだった。

母は、
「きっとあんたは、絵や図を覚える
感覚で、漢字を読むっていう意識は
なかったんじゃと思うよー。
まぁあの時はびっくりしたけどね。」
と、極めて冷静に判断しており、
私もそれに同感。
祖母の有り難い勘違いである。

こんな内弁慶の私も、
3歳で保育園に入り、 初めて両親以外
の多くの人に接することとなる。

・鬼門は給食
肉が苦手で食べられないため、
保育園の給食の時間は拷問。

お歌の時間になってオルガンが響く中、
今にも涙がこぼれそうになりつつ、
必死で食べていた。

(この泣きべそ給食タイムは
小学校低学年まで続く)

だが、これ以外は友達もすぐにでき、
先生のことも大好きで、とても楽しい
保育園生活だった。

・夢中になっていたこと
絵本を読む、お絵かき、
オルガンを弾くこと。

3歳の頃、父があいうえおの50音、
時計のよみ方、そのほか色んなことを、
教えてくれた。

「教育うんぬんじゃなくて、
お父さんはこどもが色々覚えていく
様子を見るのが面白うて、
教えとったんじゃと思うよ」と、
これまた冷静な母。私もそう思う。

父は教育パパとはほど遠い人物。
かなりの放任主義で、
ある意味「宇宙人」のような人だ。
早期教育だなんて、微塵も
考えていなかったに違いない。

ただただ、
自分が教えることを吸収していく
さまが面白かったんだと思う。

でもそのおかげで、
「読み聞かせ」をされなくても、
自分で好きなだけ本を読めたのは
有り難かった。

保育園では、定期的に
「こういう絵本がありますが
買いませんか?」
という紙が配られていた。

これは希望者はどうぞという意味で、
実際、同じクラスの子で買っている
子はそんなにいなかったようだ。

でもうちの母は、この中から必ず本を
買わないといけない!と勘違いしており、
題名を見て私が読んでみたいと言った
本を、毎回買ってくれていた。

ラッキーな勘違いのおかげで、
私は暇さえあれば本を読んでいた。

あとはお絵かき。

モチーフは女の子、お姫様。
綺麗なドレスが好きで、
必ずその子達の頭の上に、様々な
咲いた花を描いて仕上げていた。

それに疑問を持った母が
「この子はいつも、
女の子の頭の上に花を描くんですけど、
ちょっとおかしいのでしょうか」と
ひそかに先生に相談していた(コラ!怒)。

だが先生は
「大丈夫ですよ。想像力豊かだという
ことですから」と言ってくれたらしく、
それでようやく安心したとのこと。

保育園のオルガンは、
自由に弾いていいことになっていた。

だから、
当時流行っていた歌や習った歌を
みんなで歌うため、
私は聞いた音を再現して適当に
弾きながら、みんなでわいわい
楽しんでいた。

それを見ていた先生に
「美穂ちゃんはピアノを習っている
のですか」と訊ねられた母が
「いえ、習わせてません」と話すと、
習わせた方がいいと言われたそうな。

だが、すぐには習いにいかず、
小学生になってエレクトーンを習いに
行ったものの、発表会に数回出た程度。
わりと早くにやめてしまった。

・勝手に遊びを考えてみなで遊ぶ
しょっちゅう面白い遊びを考えては、
みなで時間を忘れて遊んだ。

ある時は
「ジュース屋さんごっこ」がブームで、
先生が出してくれた絵具を使って、
いろんな色のジュースを作る。

いちご、レモン、ブルーハワイあたりは
王道で、メロンを作りたいから、
黄色と青色が要るとか、
もも味にしたいから、赤と白で、とか
考えるのがすごく面白く、
みんな顔まで絵具だらけになりながら、
大量のジュース(飲めないけど)を
作って、先生に驚かれたり。

<総括>
外ではほとんどしゃべらず、
暇さえあれば本を読み、
心の中では忙しくあれこれ考えていて、
当時から、体力のない行動派だった。

妹が生まれる前までは、
我が世の春をのんびり謳歌。

小学校に入学し、高学年の時は
陸上の選手として大会へ出て入賞したり、
中学生活では吹奏楽にすべてを捧げ、
高校で茶道部に入り、受験勉強に没頭。
そして大学時代へ突入。

以降、授業とバイトに明け暮れる生活
となる。
(以前アップしたvol.1へ続く)

今では「アホの子」の称号を
ほしいままにする私の、幼い頃の話。。