私は8歳の頃、
手術で入院した事がある。
妹がまだ小さかった(2歳だった)ので、
母も病院につきっきりという訳には行かず、
ほぼ一人で入院生活を送らなければならない。
その頃まで、私一人で家以外の場所に寝泊り
したことはなかったので、本当に不安だった。
消灯は夜8時。
眠れない時は天井や病室の白いカーテンを
ずっと見ていた。
同室だった年下の男の子達(4~5歳だったかな)
とは仲が良く、昼間は本を読んだり、
怖くてたまらなかった夜中のトイレも
「みんなで行こう!」と提案して
(その子達も喜んでくれた)、
連れ立って行ったりなど、助け合いながら
淡々と過ぎる日々。
ついに手術の日が来た。手術は無事成功。
直後の事はよく覚えていないが、しばらく
時間がたった頃だろうか・・。
術後初めて摂った食事のことを
よく覚えている。
まだ出血があるかもしれないとのことで、
おかゆより優しい、かたくり粉をお湯で
溶いたものが出された。
さじですくうと、とろりと器に流れていく。
口に入れたらほのかにあったかくて、
すぅとのどに入っていった。
味もついてないし、
本当にこれだけの食事だったが、
体に染み渡るように感じ、おいしかった。
ふわ~っとした安堵の気持ちと、
心がぽかぽかするような温かさ・・。
この時の私は、食べられることの喜びや
ありがたさを、幼いながらに感じていた
のではないだろうか。
後年になって入院生活を振り返る時、
いつもあのかたくり粉の場面を思い出す。
ひと口またひと口と食べ進むうち、
静かであたたかい気持ちになったあの夕食の
時間は、私にとって貴重なひとときだった。
毎日の生活ではついつい欲が出たり、
不満を持ったりするけれど、
本当は今すでに沢山の感謝するべきことがら
に囲まれているのだ。
そのことを、常に、が難しくても、
時々は思い出したい、と思う。
普段は料理のとろみ付けや餃子の羽部分、はたまたお菓子の材料として使っている「かたくり粉」。今回久しぶりに当時を思い出して、シンプルにこれだけで頂いてみました。もしかしたら当時以来かも。食べた瞬間に「あーこの味だ」と思い出しました。優しい優しい味。ふんわり包まれるような安心感のある味・・。
~ある日のつぶやき~
悩みがあるというのは傲慢だという。命がいつまでもあるように無意識にでも思うことからくるのが悩みだから、と。確かに「生きている」ということの前においては、究極、全てがどうでもよいことかもしれない。とはいえ未熟者だから、ついつい色んなことを心にかけて悩んでしまったりする。だけどそうやって行きつ戻りつしながらでも、命に対して謙虚な気持ちを持つというのは大事なことなんだと思う。。