コップの話 -大きさを受け入れる-

コップに入ったお水。

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人にはそれぞれ、
いくつかのコップがある。
生まれつき持っているもの。
途中で変えることはできない。

コップは、こうあれかし、
と願う気持ち…欲求、だ。

で、そのコップの大きさは
人によって違う。

どれかが大きかったり、
反対に小さかったり。

コップが大きければ、
たくさんの水が必要になるし、
小さければ、
少しの水でいっぱいになる。

コップを常に満タンにしたくて、
人は生きている。

いっぱいになったら
安心や幸せを感じるから。

という前提から、
今回の話を考えてみる。

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自分の持っている、
それぞれのコップ。

どれくらいの大きさか、を
把握していることが大事、
なのかなーと。

それができていないと、
人と比べてしまって、
落ち込みやすく、幸せを
感じにくい気がするから。

たとえば、
なぜ自分はこんなに
さみしがり屋なのか、とか。
どうしてこんなに負けたくない
気持ちが強いのか、とか。
面白いことばかり優先したくて、
いつもふざけているように
見られてしまう、とか。

その人が持つコップ・・・。
愛が欲しいコップ、
競争心の強いコップ、
楽しさ優先のコップ、
その大きさが、もしかしたら
すごく大きいのかもしれない。

コップは生まれ持ったもの。
だから「なんで大きいんだよ」
と自分を責めるんじゃなくて。

「そっかー自分はこのコップが
生まれつき大きいのかー」
ということをまずは把握し、
それを満たす努力をしていけば
いいのかな、と。

どうしたら自分のコップを
満たすことができるのかを考え、
自分ひとりでできることを
見つけて実行する。

そしてそれが
自分だけじゃ足りないかもなー
と思ったら、
まわりの人に助けを求めるか、
自分から働きかけてみる。
勇気が要ることでも、
自分の安心や幸せのために
頑張ってみる。

そうやって、各人が、
責任を持って自分のコップを
満たしていく。

それが、
欲求を満たすことになり、
自分を愛する、ということ
なのかなーと。

—–

だから、自分のコップが
小さいからといって、
大きいコップの人を見て、
「どうしてあんなに欲しがる?」
「なぜこう考えられないのかな…」
と言っても仕方なくて。

コップの大きさが違うんだ、と
大きさの違いをまずは受け入れる。

そこから、
その人のコップの大きさを想像し、
自分にできることあるかなと考え、
行動する・しない、を判断したら
いいのかなーと。

私はこの、コップの大きさで
あれこれ考えて悩んでいたのかー、
と気付けた。
自分のもそうだし、他の人のも。

「なんで大きいの?」
と言っても始まらなくて。
「そっかー大きいのかー。
てか、大きくていいんだ。
仕方ないよね、うん。
どうしようねー」という風に、
今はなんだか
肩の力が抜けたというか、
気楽にそう思えるようになった。

生まれ持った、
もう変えられないコップを前に
「なんで大きいの?え?」って
自分を責めたり、
もんもんと悩んでも仕方ないし、
そこじゃない、のだなと。

じゃ、いかにして満たすか。
そっち。そっち考えよー(*´Д`)ハウー

さみしがり屋のコップが大きいなら
(誰のことかな…あ、私だw)
ひとりでもご機嫌になれることを
いくつか…できるだけ沢山用意する、
など。

私の一例をあげると、
お気に入りのミニ羊羹をいくつか
隠し持って…いや、常備している。

気分が落ち込んだときなどに、
それを、はむはむっと食べて、
お茶を飲んで気分を切り替える。
という具合に。

そんなこと!?というような、
小さなことでいい。
(…私のも小さな例ですねー^^;)

小さな「嬉しい」「幸せ」を
日々積み重ねていくことが
大事だと思うから。

そして誰かと会える時は、
その時間を思いきり楽しむ。
一緒にいてくれることに
感謝しながら。
・・・という具合に。

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あなたの欲求のコップ、
満たされてますか^^

人と比べて自分のコップが
大きくってもいい。
悩むのはそこじゃない。
責めなくもいい。
お、大きいんだね、うんうん。
で、どうする?ってこと。

まずは、できるだけ自分で、
自分のコップを満たしておく。

これを心掛けていたら、
自分のまわりにいる人の
コップを満たすお手伝いも
できるように思います。

私も誰かのお手伝いができる
自分でいたいので、
自分もまわりも責めず、
そっかそっかーと受け入れて、
自分を満たしながら、日々
楽しんで生きていきたいです^^