社交辞令なんていらない・・言葉には命が宿り、責任が伴う



私はバカ、なのかもしれない。
それはそう。分かってる。
そうなんだけども。

ここで言うバカ、は
クレバーなオトナでない、
コドモだという意味。
そういう類いなのかもしれない。
でも、それでもいい。バカ上等だ。 

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以前こんなことがあった。

仲良くなった友達のお店の話になり、
その場にいた皆で盛り上がった。
「絶対行く~」と口々に言い、
私も「行くね」と話していた。

だがそのお店は県外で、当時私が
住んでいた町から約3時間はかかる。
行きたいと思いながらも、
なかなか行く時間がとれず・・。
やっとこさ行けたのは、その話をして
しばらくたってからだった。

大人気のお店はお客さんでいっぱい。
忙しい中、歓待してくれて、
お茶もご馳走になり、色んな話も出来た。

大満足の帰り際
「みんなはいつ頃来たの?」となにげなく
きくと、○○ちゃんが、いついつ頃との答え。

え、あれから○○ちゃんと私、だけ?
他にも、あの子もあの子も、
少なくとも5~6人は「行く」と
行っていたはず。

それも、絶対に、とか、楽しみだ、
とまで言っていて、
今すぐにでもという感じだったのに・・。

まぁ、それぞれ事情はある。
みんな忙しいから、
またいつか来るのかもなと思っていた私。

だけどその友人は、
多分これから先もこないと思うよ~
と言っている。
別に怒ったり、悲しんだりはしていない、
さらっとした口調で。
誰を責めるでもなく、淡々と。

そういうもんだと思うよ、
あれはきっと社交辞令だよ、と。 

そうなん?そうなん?そういうもんなん?
私は、ぐわーんとショックを受けていた。

帰りの電車で一人考えていた。
私がもし「行けないかも・・」と
思ったなら、 あの場で何と言っていたか。

発言するなら、
「機会があったら行ってみたい」だろうか。
「行ける時があったら、ぜひ行ってみたい」
という気持ちはうそじゃない。

だけどやはり、
「行く」とは断言していないだろう。
まして、「絶対行く」などとは言えない。
それはうそだから。

~~~~~

雰囲気や流れ重視のクレバーなオトナなら、
ノリと社交辞令で「絶対行く」などと
いうのだろう。でもな、と思う。

ひとかけらも気持ちの入っていない言葉は、
命を持たない、生きていない言葉である。

その場だけの、盛り上げたいだけの、
自分を良く見せたいだけの。
相手の気持ちを考えていない、
口当たりの良い言葉。
食べた瞬間は甘いが、
ふと気づいたら苦々しく空しい気持ちが
広がる。

そんなものを相手に渡していいのかな。
平気なのかな。私はいやだ。

その人が有名な憧れの存在だから、
付き合っていたら得だから。
言葉は弄するけど、
行動はしない。身銭もきらない。
気持ちもない。そんなの寂しすぎる。

社交辞令ばかり繰り出していたら、
いつかそのツケがまわってくる。
言葉には命が宿り、責任が伴う。

相手を傷つけるような
バカ正直はいらないし、
場合により、
相手を思いやるうそもあるだろう。

だが通常なら、
うそをつかなくても
気持ちを伝える手段や言葉は、
きっとあるはず。

仕事柄、立場上、
社交辞令を言わなきゃならないなら、
少しでも、自分の感じた「本当のこと」
を言えばいい。

良いところは、
どこにでも誰にでも、必ずどこかある。
わずかでも心のこもった本心が
入っていたら、うそじゃなくなる。

社交辞令ではなく、
命を持った言葉になり、相手に届く。

社交辞令を言う自分がイヤなら、
言った言葉の通りに行動すればいい。

そうしたら、
自分の発した言葉は社交辞令ではなくなる。
言葉が生きる。

言行一致は
シンプルでまっすぐで信用できる。

私はバカなのかもしれない。
だけど、やっぱり真意とは逆の言葉を
軽々しく言えない。うそはつけない。
誠意を持って、言葉を発したい。

あたたかい心を持つ、
聡明な大人の女という理想に、
一歩でも近づきたいから。