それでも伝えたい -伝わる想い-

 

古(いにしえ)の人々は、
会えない時にどうやって
気持ちを伝えていたのか。

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会えたら、話す。言葉に加え
表情や身振り手振りから、
ニュアンスを感じ取ることが
できる。

言葉が出てこないなら、
ただ抱きしめるだけでもいい。

だけど会えないなら…。
現代のように電話もメールもない
時代は、やはり手紙だったのだろう。

郵便制度が導入される以前は、
高貴な人々は歌を詠み、それを
従者などの手で相手に届けさせていた。
平安時代とかそうかなーと。

そういう時代の手紙なら、
選ぶ紙、筆跡、詠んだ和歌などから、
相手に想いを馳せる。

知性と教養の素地、選ぶ言葉の好み、
テイスト、タイミングなどなど。

手紙(和歌)から相手を想像し、
会うかどうか決める…って、
かなりすごいことだなぁと思う。
一通の手紙に込める想い、そして
それによって惚れこませるために払う
エネルギーは相当なものだったのでは、
と思う。

—-

そこから現代に戻って考える。

今ある連絡手段で、
今できる方法で、
今の状況に合う距離感で、
相手に大切な気持ちを伝える時。

手紙という方法もあるけれど、
多くの人はSNSを使うのではないか。

ラインやメールだと直接的になるので、
手軽かつ言葉を尽くせばわりと正確に
伝わりやすい。
が、情緒はあまりないかも。
(出そうとしたら出せると思いますが、
ここでは触れずに進めますね)

そんな時、言うに言えない気持ちを、
だけどどうしても伝えたい気持ちを、
自分なりの表現で、相手に伝わるよう、
できたら相手と自分だけが知っている
出来事や事象を想起させるような表現
を用いて伝えるとしたら…。

今これを読んで、
めんどくさいと思った人はきっと、
さくっと行動する方が好ましいと思う
タイプの人だろう。

そしてそれは確かにストレートな成果を
早く分かりやすく得る手段であるだろう。

が、先に言ったようなことを、
うんうん、そう。分かる分かる。
こういうやり取り、わりと好きかも…
という方は、これから私が話すことに
共感して頂けるかもしれない。

いろんな制約のある中で、
気持ちを伝えることに払うエネルギー、
相手を想う気持ち、それがすでに愛だ。
ありがとーって思う^^

そして、相手の言いたいのであろうことが
しっかりこちらに伝わって受け取れた時、
私は思う。

「なんて頭のいい人なんだろう!!!
カッコいい!しびれる。好きー(´艸`*)♪」
と。(ww笑えるかもしれませんがマジです)

写真なら、なにこの構図、被写界深度も
表情も完璧。素晴らしい。天才!!!とか。

言葉なら、リンクしてたり、
韻を踏んでたり、さりげなさが絶妙とか。

まさに、粋で情緒ある和歌を受け取り、
「素敵ー♪」とメロメロになっている
平安女性そのもの。

違うのは、今が現代で、
私は相手に会ったことがあるということ。

千年前から人の気持ちは変わらず、
誰かにときめき、恋い慕い、愛する、
という気持ちは不滅なのだ。色あせない。
鮮やかにそれぞれの心にある。あり続ける。

—–

表現が純化され、粋を極めるとき。
それはやはり、言うに言えない想いを
伝えようとするとき、なのではないか。

私はこういう表現がすごく好きだ。
そして、そういう気持ちを共有し合い、
受け取り、表現し、また受け取る、という
やり取りの情緒を解し、自分なりの感性で
表現してくれる人が好き。
惚れ直してしまう。

~~だから難しい。
~~でないと無理。ではなく。

今ある状況や制約の中で
出来る表現を駆使して、
それでも伝えたい、という衝動や動機
から伝えることで、伝わる想いがある。

それを、その過程を、
愛おしく想い、慈しみ、
ありがとう^^と感謝して、
また相手に伝えていく。
行動もしていく。

それでも伝えたい。
そう想う気持ちをもとに…。