それでも愛したいから ~悩みや苦しみのわけ~

ちょっと前のこと。

いつも私は
撮影、練習、考え事、散歩などで
近くにある公園へ行くんですね。

その日も公園へ。
頭の中には整理したいことがあり、
心は憂いを帯びて少し沈んでいて、
なんとなくぼーっとしていたんです。

その時でした。
「あ!」ふいに大好きな曲が
聞こえてきました。

公園では時々パフォーマーの方々が
大道芸を披露していたり、
演奏されていたりします。

バイオリンで奏でられていた曲は
「君をのせて」。

ベンチに腰かけて、
その音色に耳を傾けていたら、
すーっと心の重しがとれたんです。
軽やかな気持ちになれました。

好きな音楽や何かに触れたとき。
心がほどけて、ふっと楽になる、
余裕が出てくるってこと、
ありますよね。

その後で、腑に落ちたことがあって。

—–

これじゃいけないと悩んだり、
このままじゃ苦しいと思ったり、
どうしてと悲しくなったり。

この悩みや苦しみを
ひとつずつ検証します。

~ではいけない。
本当にそうなのか。

~であればもっと。
本当にそうなのか。

~だから悲しい。
本当にそうなのか。

検証した結果、それらはやはり、
一番大切にしたい気持ちにくっついた、
余計なものだと分かりました。

簡単に言うと、自分の欲、エゴです。
または小さな頃から刷り込まれた、
思い込みや概念など。

このように感じるのが
本当にいやならば
やめればいいんです。

でもできない、したくないならば、
反対方向、
自分が悩んでも苦しくてもしたいこと、
こちらをしっかり自覚して、
そうしたいという気持ちを大切にして、
進めってことかなと。
ラクな方&いつものパターンではなく、
楽しいと感じる方、変化を伴う方へ。

悩むのも苦しむのも、
それでも進みたいから、だなと。

—–

自分の本当の喜びが灯台なら、
自分という意志を持った船は、
荒波や真っ暗闇の中で怖かったり、
危険な目にあったりしても、
まっすぐにその灯りを目指して進む。

荒波や暗闇があるから嫌だ、
じゃなく、
進むためには、それがあっても
進まないと辿り着かないし、
進むうちにいつか波は穏やかになり、
夜が明けて明るい陽が差してくる。

自分の心に置き換えると、
荒波や暗闇は、
そこにあることを認めるだけで、
大部分は昇華されている気がします。

荒波がおさまる、夜が明ける
=平常心になる、ということかと。
何かが起きても動じなくなる、
というような。

「そうしたい」
「そうなるといいな」
という気持ちがあるからこそ、
あらがえないほどの気持ちだからこそ、
極めて純粋な、純度の高いその気持ちを
尊重して生きることができるのだ、
と思います。

自分の欲やエゴ、思い込みや概念等を
否応なく見つめ、認め、それを手放す
という至難を成し得るには、
これほどまでの気持ちがないと難しい、
ということかと思います。

自分はなんという難題、難問を
生まれる前に設定してきたのか、と。
でもそれは難題、難問といいつつ、
自らが心から、魂から望んでいるもの。
苦しいのは表面上のこと。
本当はその先にある自分を見ていて、
そうありたい、んですよね。

—–

悩んだり、苦しんだりしているのは、
それでも自分の気持ちのままに
生きていきたいから。

難しい、どうして…。
うんうん。そうですよね。

だけど、何度検証しても
その気持ちが確かにあるなら、
それが自分の本当の気持ち、
喜び、なんです。

悩んでいる。苦しんでいる。
だけどそれは
余計なものを手放したら、
自然となくなります。
悩みや苦しみだと思わなくなる、
という感じ。

思い込みやエゴを、
ひとつずつ見つけて、
ひとつずつ手放していく。

“思い込み”さん、”エゴ”くん、
いるね、分かったよ。

自分を守ろうとしてくれてたのかも。
それが大事だと思い込んでたのかも。

でも、もう大丈夫。なくても大丈夫。
いてくれたおかげで気づけた想いが
あるよ。ありがとねー。バイバイー!
と、それらにお別れする。

今悩んでいるのも。
苦しんでいるのも。
その先に本当の喜びが、
意志があるから。

なにがあっても。どんな状況でも。
それでも、大切な人を、ことを、
愛したいから。

それでも愛したいから。