幸せな人、なりたい人に訊く

「女は、自分がしたかったことを
している女が嫌い」というセリフを
聴いて、はっとした。
そうかもしれない、と。

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何かに悩み、相談する時は、
「今幸せな人」自分が
「こうなりたいと思う人」に
訊くといい。

でも「今幸せな人」も、ふたを開けて
見たら、実は”幸せそうに見える人”で、
トラウマの傷が癒えておらず、
こちらからの相談がもとで、その人の
キズから一気に血がふきだす、という
恐ろしいこともある。

私はなぜか昔から、
いろんな相談を聞くことが多かった。

今はないし、最近の話じゃないのだが、
こちらが話をしているはずが、
いつの間にか相手の過去の傷の話、
トラウマを延々きくことになってたり、
相手の相談にのっていたり、
ということも多かった。

私の幸せを願っている、応援している、
と言ってくれる人で、その言葉を素直に
信じられる人とそうじゃない人とがいる、
と気づいたのもここからだ。

自分と同じ状況になっている人が目の前
にいる時、どうアドバイスするか。

人は自らの経験+考えでしか、
判断もアドバイスもできない。
(アドバイスというのもなんだか
おこがましい。ほとんど聞くだけだし、
私はこう思う、私ならこうするかな、と
話す程度。)

だからこそ、自分が知らない、分からない
ことの方が圧倒的に多く、自分の経験は
ほんの一例にすぎない、ということを
自覚した上で、話した方がいいと思う。

だが、思い込みが激しかったり、
過去の経験を消化できず、痛みや後悔が
残っている人の場合、押しつけがましく
なるような気がする。

その後に続く展開も似ていて、相手が
自分のアドバイス通りに行動しなかったら、
怒るか、はなれていく。

私はよく人から素直といわれる。
だけどそれは自分ではよく分からない。
そして、素直だとしても、アドバイスを
うのみにはしない。感謝はしているけど。
生意気かもしれないが、そうなのだ。

私がうのみにしないのは、後悔したり、
人のせいにしたくないから。

良いこともそうじゃないことも、
ぜんぶ自分のせいってことにしたいから。
それが一番自分にとって楽で幸せだから。

なので、
心が弱り、自分に問うても解決できない
ほどこんがらがって相談したとしても、
その人と私は全く違う人間で、決めるのは
自分しかいないから、その人の経験や
アドバイス通りにすることの方が、
わたし的には「ない」と思うのだ。

「自分は過去にこういうことがあり、
その時こう決断して今に至る。今が幸せ。」
心からそう信じ、実感している人なら、
同じ状況、似た状況にある人の気持ちが
分かり、心底から応援できるし、
その人が必ずベストな未来に導かれる、と
確信してアドバイスできると思う。

だが、そう信じられていない人の場合、
不安をあおる発言や、自らのトラウマ話、
おためごかしの押しつけになってしまう
のかもしれない。

“自分がしたかったこと”をしてる人を見て、
もやもやする。これもその人の感情だ。
否定しないし、全然問題ないと思う。
だが、相手の邪魔はしない方がいい。
応援してとは言わないから。

誰かが、悩みながらも、
“自分がしたかったこと”をしている。

その姿を見て、もやもやするなら、
自分が今できることを考え、それを
実行することに焦点をあてる。
その方がはるかに建設的じゃないかーと思う。
無駄がなく、美しい。
(無駄が美しい場合もあるけれど。そして、
すべてが合理的にいく訳じゃないけれど。)

相手ではなく自分にフューチャーする。
そして助言を取り入れるなら「なりたい人」
から。

そして、
“自分がしたかったことをしている人”は、
自由だけじゃなくリスクも負っている。
それを忘れないようにしたい。