すべてを愛する -この人さえいればいい、はない-

自分のまわりにいる人を
愛している。

愛せなくなったら
それは仕方ない。

もしかしたら、
もともと愛していなかった
のかもしれない。

問題に直面するのを
後回しにしてきただけ。
そう気づくのは
怖いことだけれど。

今まわりにいる人すべてを、
せいいっぱい愛したい。
同じように。

ひとりだけを愛する。
この人さえいればいい。
他の人はどうでもいい。
そういう愛は
すぐ終わる気がする。

この人を愛する。
縁あるまわりの人も
同じように愛する。
この人を愛する私が、
この人と一緒に、
私たちのまわりにいる人々を
愛する。
こういう愛が
長く続くのではないか。

長く続いていく愛。
そういう愛の在り方を
自分の中に持ちたい。

たとえ
その人のそばにいられなくても。
たとえ
その人が他の人を想っていても。

その人が
心の中にいるだけでいい。
その人が幸せであればいい。
そう想える愛を。

まわりの人はどうでもいい
と思う人には、
まわりの人をどうしたらいいの
と思うほどの
想いや存在との出会いは
用意されていないのではないか。

すべてを愛する、という至難を、
自らの喜びにできる人が、
かけがえのない存在に
出会うことができる。

出会わなければよかった
という人もいるらしい。
余りにもつらすぎて。
どうしようもない感情に心折れ、
壊れそうになるから。

それも分かる。
だけどそれは違う。

生まれ直しても
また同じ課題を与えられるか、
選び取ることだろう。

出会いは必然で避けられない。
そこから生まれる感情からも
逃げられない。
なぜならそれこそが
生まれた目的だから。
魂を成長させるために。

今回の話に共感し、
分かってくれた
あなたに問いたい。

あなたは
その人の存在と同じように、
すべてを愛していますか。
愛せていますか。

この人さえいればいい、はない。

この人がいるからこそ、
すべてを愛するのだ、
と言える存在に出会えたなら、
あなたは幸せだ。

すべてを愛する。
そう決めて、そうできたとき。
あなたもまわりも
変わっていくだろう。

そして、
袋小路のように思えていた今が、
ひらけていくことに
気づくかもしれない。

 

 

 

 

 

 


ichiban no sonzai ha kokoro no nakani.
sonohito sura shiranakute iinodehanaika
to omou…