自分の友人や知人が書いた、
ブログやFBの投稿を読んで、自分の
ことを言われたような気持ちになり、
「私のことですか?」と筆者に訊ねて
しまう現象を「私のことですか?」問題
とする。(勝手に名付けた)
これは、
投稿がマイナスや否定するものの場合、
あなたは違うと言って欲しくて書くの
だろう。
(ほんとにその人のことでも筆者は
言えないし、言わないけれど・・)
最近考えたのは、
自分のことだったらどんなに嬉しいか
という、プラスの投稿に対して抱く
気持ちについてだ。
ぬか喜びしたくないという思いから、
論理的思考を用意してそれを否定する
ものの、心はそれを受け取っている。
「それ」とは、きっと事実であろうこと
=自分を差している、と。
だがもしも違っていた時に、
恥をかきたくない、傷つきたくないと
いう気持ちが強ければ、
受け取りを拒否してしまう。
そして誰と明記されていない以上、
自分が感じた喜びを筆者に伝えるのは、
一般的にはやりすぎだろう。
そうしたら、
相手へ届いてほしいと願いながら
プラスの投稿をした筆者の気持ちは、
どこへ行ってしまうのだろう。
きっとだが、
筆者が書いたものを相手が読み、
心で受け取った時点で、
昇華されている。
たとえ、
表面的な言葉では拒否していても、
一見 無反応なようでも、
直接言えない思いを、自分の中に、
喜びを持って受け入れている。
その喜びは行動として現れるだろう。
でもこうも思う。
マイナスな投稿を見て
「私のことですか?」と訊くのではなく、
プラスの投稿を見たときにこそ
「私のことですか?」と遠慮がちに
訊いてみたら良いのかも、と。
恥や傷なんて、どうでもいい。
違っていたら笑えばいい。
ただそれだけ。
そうすれば「私のことですか?」問題は
明るくてなんだか幸せなものになる、
という気がする。
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どんなことも言わなきゃ分からない
というが、
言えないものを分かって欲しいと思う
時はどうしたらいいのか。
やはり書かなきゃならない、
何らかの言葉にして。
描くしかないのだ、絵画にして。
撮って残さずにはいられない、
写真として。
そして叶うなら、自分が伝えたい人に、
伝わって欲しいと願う。
表現したいと思い、
表現するということは
そういうことだったりするのかも。