タメ口(ためぐち)・・敬語を使わない、
友達同士のような口調、が苦手である。
もちろん、同級生や同い年の人、
友人、家族とはタメ口だ。
苦手なのは、そこまで親しくない、
もしくは知り合ったばかりか初対面、
年下の人、店員さんが、
タメ口で語りかけてくる場合、である。
私は基本、敬語で話す。
それは相手が年下であろうが、
お店の人であろうが、同じであり、
まして親しい友人でもない人に、
いきなりタメ口で話すというような無礼は
できないからだ。
そう、タメ口は無礼なのである。
にも関わらず、こちらが敬語であっても
タメ口で話す人は多い。
あなたは私の恩師でも上司でもない。
お互いに敬意を持って接するべき間柄だ。
無礼なタメ口を、親しみやすさ、
フレンドリーさのあらわれである、と
勘違いしている人のなんと多いことか。
テレビを観ていても思う。
リポーターが、
ご年配の方にインタビューしている様子。
べたべたした丁寧なタメ口(あるのだ)の
せいで、肝心の内容が頭に入ってこない。
失礼だろ!と思わず、画面に向かって
言いたくなる。
きちんとした人は年上でも、年下のこちら
に対して敬語で話してくださる。
存在を尊重して貰っているということが
言葉遣いから伝わり、有難い。
といっても、
タメ口が嬉しいという場合もある。
根底に愛があり、
親しみを持って接してくれているのが
分かるからだ。
タメ口は、相手との関係性によって、
タメ口となる自然な流れでの必然があり、
双方がそれを許す土壌があって、
初めて成り立つものである。
敬語からタメ口へは、
親しんでいく過程でグラデーション的に
移っていくもの、
もしくは双方同意の上、
何かのきっかけで切り替わるもの
ではないか。
そして親しみは、
タメ口でなくとも表現できる。
タメ口について思う・・
無礼をフレンドリーと思い込んではいけない、
と。
自分以外の人すべてを敬う気持ち、
気持ちをあらわす言葉を沢山持つこと。
想像力と距離感を大切にすること。
タメ口ひとつで、
人間性があらわになることもある。
言葉遣いをおろそかにしてはいけない。