歌舞伎の「外郎売(ういろううり)」に出てくる薬の「ういろう」。まさか今でも同じものがあるとは・・。小田原「ういろう」にて購入したのが、写真の「ういろう」。またの名を透頂香(とうちんこう)というこちら。室町時代に作られた当時と同じ材料、配合で作られているのだそうです。
これは箱の中に入っていた小さなしおり。お店の方のお話によると、薬といっても生薬で漢方薬の類に属するものだそう。
まわりは殺菌作用があるという銀でコーティングされていて、これも当時そのままです。この小さな袋に141粒入りで¥1050。今でもわりと高価に感じるこの「ういろう」ですが、当時は銀というと今よりもっと値の張るものだったので、庶民の口に入ることはめったになく、大名や身分の高いお侍さんなどに用いられていたそうです。その効能が顕著であったことから時の帝に「透頂香(とうちんこう)」の名を賜ったとのこと。主に腹痛とのどの痛みに効果するというお話だったので、折りしも風邪気味でのどが痛かった私、帰宅後さっそく教えて頂いた通りに服用してみました。腹痛なら水で飲み、のどが痛いのも同様でいいけれど、のどの場合はそのままなめるとより効くとのことだったので、3粒ほどなめてみました。良薬口に苦し・・苦いですー。だけど薄荷のすぅっとした爽やかさがあって、香りは良いかも。頑張って数分なめた後、水でごくっと飲みました。で、次の日。昨日よりのど、痛くない気がする。症状改善の兆し・・。
こちらが「ういろう」* のお店の外観、すごいでしょ。中国から日本に渡り、帰化して陳外郎(ちんういろう)と称した初代から今のご当主まで、天皇から賜った十六の菊と五七の桐の家紋、八棟造(やつむねづくり)の家屋と共に受け継がれ、苗字も「外郎(ういろう)」さんとおっしゃるのだそう。関東大震災で家屋が倒壊した時も八棟造にて再建されたとのことです。このお店の建物の後ろには明治時代に立てられたという蔵があり、そこは現在「ういろう」の歴史を伝える博物館になっています。お店の方に見学したい旨申し出ると、案内してもらえました。そこで当時実際使っていた道具や、歌舞伎「外郎売」に関するもの(市川団十郎丈の隈取など)を見せて頂き、貴重なお話も沢山聞かせて貰いました。この蔵自体がすごいもので、特に天井の梁が見事。関東大震災でも倒れなかったというのも分かるくらい、太くて立派なものでした。
近くでみても白壁が眩しいー。
東海道沿いにはこのような石碑が建てられていて、町の名前とともにその歴史、江戸時代にどんな感じだったかという説明がかかれています。ういろうのお店の旗には「東海道中膝栗毛」でお馴染みの弥次さん喜多さんの絵が・・。
こちらではお菓子の「ういろう」もお土産に購入~。こちらの「ういろう」、二代目の外郎氏が作って客の接待に出していたのが最初だそうで、外郎氏のお菓子というのがいつしか略してお菓子そのものを「ういろう」と呼ぶようになったのだとか。白、小豆、抹茶、栗、黒糖のうち、一番古くからあるという黒糖のものにしました。「ういろう」の元祖、600年続く本物の味はシンプルで深く、初めてのはずなのにどこか懐かしい味。とってもおいしかったです。
こちらに博物館があるのを知っていたので、お菓子の「ういろう」購入時にお店の方に話してみたら、案内して貰えることになりました。皆さんも可能なら是非見学していかれることをお勧めします。耳で聞き、文字としてみる600年という歳月。ふわっと分かっているつもりになっていましたが、実際の道具などを見ると全然違いました。わずかでも肌でその歴史の重みを感じることができた気がするので、見学できて、お話も沢山聞かせて貰えて良かったです。ちなみに薬のういろうは、薬事法により現在はこちらでの対面販売のみ。これをもとめるお客様が、ほんとに途絶えることなく来られていました。さてさて、歌舞伎「外郎売」の有名な口上・・長くてかみそうな台詞続きです。書いてある文章を読みながら口に出すのでも難しそうなのに、これをなんと地元の子供たちが覚えて京都の祇園で披露したこともあるそうで驚きました。こうやって歴史や文化を伝えていく活動も、素晴らしいですね。。
~ある日のつぶやき~
弥次さん喜多さんが珍道中を繰り広げる「東海道中膝栗毛」。膝栗毛とは、膝を栗毛の馬がわりに旅行する=徒歩で旅すること。今でいう娯楽小説とガイドブックが合わさったものかな。おいしいものに舌つづみを打つ楽しさというのは昔から変わらない・・そう思ったら、昔の人にすごく親近感を覚える。文明が発達しても、人間の感じる「快」の感情を成す、おおもとは変わっていないのかも。。