物事の見方 -目指すところへ-


物事って事実としてはひとつ。
でも見方はいろいろあったり。
少なくとも、ふたつはある。

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事実がここにある。

自分から見たサイドA。
相手から見たサイドB。

見方は、この両方がある。

神様目線(俯瞰目線)だと、
AにもBにも理があり、
感情があることが分かる。

だけど、
Aからだけの視点、
Bからだけの視点、
だとすれ違う。

この場合、
どちらが正しいかってことは
どうでもいい、と思ってる。

AにはAの事情と感情があり、
それはBも同じ。

目指すのはABがお互いに
分かり合うこと。
幸せを感じること。

その目標を目指してAやBが
それぞれなにができるかを考え、
何をするのか、しないのか、
を考える。そして実行する。

これだけでいいと思う。

こうなったのはAの、Bの、
なになにが理由であり、
それは間違っていて、
糺して正さねばならない…。
うん、それもどうでもいい。

目指すところに向かって、
ただ行動するだけ、でいい。

大切な人に、気持ちを伝え、
大切だと思うからこそ、
そのためにしたい行動をする。

これでいいんじゃないかな。

こうなるに至った理由なんて
いい。どうでも。

その理由が素敵なものでも、
カッコよくないものでも、
それもどうでもいい。

そう、どうでもいいのだ。

どっちが正しいとか、
どっちがいけなかったとか。
そこをすっとばしていい。

言いたければ言えばいい。
言いたくなかったら
言わなくていい。

自分と相手がいる。
ここで起きることは、
お互いが力を合わせて解決して
いくこと、なのだ。

だから、
どちらが直接の要因を生んだかは
どうでもいい。そう思ってる。

できるだけ、神様目線で。
神ならぬ身ではあるけれど。

一歩ひいてみる。
数段高いところからみる。

そうしたら、
お互いがすれ違っているようで、
同じ答えを囲んでグルグルしてる
ことが分かる。

さくっと、あっけらかんと、
「ど真ん中」をとったらいい。
きっとそれは簡単なこと。

アホの子になればいい。

誰にそしられようと、
バカにされようと、
そんなのどうでもいい。
どうでもいい。

何事もなかったかのように
行動したらいい。

にっこり笑って「ど真ん中」をとり、
笑いながらサイドAとサイドBは
答え合わせをしたらいい。
したかったら。

したくなければ…
ただ笑ってたらいいんじゃないかな。
(*´▽`*)アハ ♪