その関係は義務ですか、意地ですか -選べるものは本心で-

人が生きていくとき
自分だけではなく必ず誰かと関わる。

それは
友人として、恋人として、配偶者として、
親子として、いろいろだろう。

親子関係は生まれたときから決まっている。

生まれる前に、子が親を選んでいるという。
生まれた時にそれを忘れていることも多い、
とも言われているし、ここでは、
「選べない関係」に 分類しておく。

さて、それ以外はどうかというと、
すべて自分で「選べる関係」である。

ここで考えたいのは、その「選べる関係」を
持続させているものが何か、ということだ。

人との関係は、愛、もしくは本心から
こいねがい、結ばれたものでありたい。
そう思っている。

だが、実際はそうじゃない場合も多い。

義理やしがらみでつながっている友人関係。
もう気持ちはなくなったのに、どちらもか、
片方が自立できず、継続している婚姻関係。

もう気持ちはない、もしくは始めからない
けれど、どちらか、または双方の都合で、
解消するのが体裁わるいという恋人関係。

婚姻関係の場合、法的な契約なので、
文字通りの義務、そして責任が発生するが、
私が考えたいのは、心の中でのこと。
恋人関係ならもっと定義はあいまいだ。

その関係は義務ですか、意地ですか。

愛でも本心でもない、いわく言い難い、
その関係を継続させることは、あなたにとって
本当の幸せなのか。

そんなこと言ったって、
人にはそれぞれ事情があるんです。
あなたには分からないんです。
そう怒られてしまうかもしれない。

それは私も承知している。
していながら言う。

断る方が大変だから とりあえず友人のまま、
さみしいから(好きじゃないけど)とりあえず
つき合う、 自立するのは怖いし そんな勇気は
ないから とりあえず別れない。

それでいいの?本当に?”とりあえず”で?

あなたの心を開放しながら寄り添い、守り、
お互いがともに愛し愛され、幸せを感じる
関係を得たいとは思いませんか。

あなたの幸せは本心が知っている。

いくら義務感と意地で継続させようとしても、
それが無理をともなったものであり、
頑張りがなければ続かないものだ、
ということに。

私にも遠い昔に経験がある。
努力したし頑張った。好きになろうとして。
でもそんなの、頑張ることじゃないのだ。

美しい景色を見たとき。
おいしいものを食べたとき。

そばにいて欲しくて、一緒に食べたい人は
今となりにいる人じゃない。
そのむなしさと孤独。
誰かといるのに孤独、という感情はつらい。

こんな気持ちになるくらいならひとりでいる。
そう思った。

違う日々が、行動が、自身を癒し、
変えてくれる、 そう信じてやってみたけど、
ダメだった。それに気づいた。
だからひとりでいよう、と。ごまかさずに。

といっても、
眉間にしわ、というような深刻なものではなく、
自分で自分を楽しませるような、お気楽な日々。

だがその日々は、
私の中に何か大切なものを育んだ。
濃く、深く、大切な何かを。
自分をすり減らさず、豊かになるための何かを。

空腹時にとりあえず目の前のものを食べる、
のではなく。
本当に欲しいもの、一番食べたいもので満たす。
そのためにハングリーでいる。
…という感覚に近かったのかもしれない。

あれから20年近くたった。

これからまた、
チャレンジをしていく日々となる。

大小様々あるだろうその挑戦をするにあたり、
かなり怖いし、どうなるのかなんて未知だし、
変化しない方がラクなのは知っている。

だけど、ラクなのが幸せなのか?と思うのだ。
そう思う人はそれでいいだろう。

その関係は義務ですか、意地ですか。

意地や見栄ならやめた方がいい。
それは無駄だから。
心で縛った義務なら、こちらも同じ。

選べる関係は本心で選ぶ。

本心じゃないものでお茶を濁すから、
面倒なことになり、うそをつくことになり、
本当に求めているものから、どんどん
はなれていく。

今その気持ちを押し込めて「頑張って」も、
いつか爆発する。
本心が「分かってよ」「分かってくれよ」
と言って、暴れ出す。

これが怖いのが、
すぐじゃないかもしれないってこと。
数年後、数十年後だったりもするのだ。

きっかけはいろいろ。
ある日、天啓のようにひらめくか、
事故のようにぶつかってくるか。
気づいたらもう、逃れられないのだ。

本心から希求しているものを得るために
エネルギーを使いませんか。

それが生きていくってことだし、
生まれてきた意味だと思うし、
自分にとっての幸せだから。