元号のこと& 桜咲く in 井の頭公園

昨日、
井の頭公園で撮った桜です。

前回(3月29日アップ)の5日後、
今回は、満開近くまで
咲いていましたよ。

桜の写真と共に、
元号について思うところを
書いてみますね。

新元号が「令和」になりました。

5月からはもう平成ではないんだ…
と思うと、さみしい気もします。

さて、元号のこと。
世の中ではいろいろ言われています。
要る、とか、要らない、とか。

私は「要る」と思っています。
要るというより、
日本という国、皇室があって、
元号も存在するもの、です。
議論することじゃない、という感じ
かな。
(だから、元号要らないと言う人がいると、
驚いたり悲しくなったり…。

日本という国に生まれ、日本人として
生きているということ、
日本で暮らしているということが、
どれだけ有り難く素晴らしいこと
か…。
もちろん世界各国それぞれの国々も
素晴らしいのは言うまでもないです。
話を戻して、日本ということで言うと、
皇室があること、神社仏閣、
日本古来の文化や歴史、等々への
尊敬と感謝があるので、

余計そう思います。
長くなるので今回はこのへんで…。)
(このことで議論するつもりはないので、
ご了承ください…。よろしくお願いします。)

日本の皇室が、万世一系を貫く
世界最古の王室であること。
それを表す元号の意味と価値を理解し、
誇りと感謝を持って生きることが大事
だと思っています。

私はなんの団体にも属しておらず、
宗教にも入っていません。
日本国民の一人として思うことです。

新元号の「令和」について。

万葉集に32首ある梅の花の歌の
序文から引用とのことで、
今回はじめて国書、日本の古典から
採られたことを、嬉しく思います。

梅は桜に比べると、
地味というか堅実で質素なイメージ。

不思議に存在感があるのは、
その香りのおかげかなと。
香ることで「ここにいますよ」と
言っているかのような。

春の息吹をまっさきに感じて
花開く梅。健気で芯があり、
素朴な美しさを持つ梅。
すごく好きです。

古典に触れることって
学生時代の時だけだった…と
いう方も多いのでしょうか。

大人になってから
改めて読み返してみると、
けっこう面白いですし、
より深く理解できる気がします。

人生における経験があればあるほど
共感できる部分も多いのではないかと。

古典を学ぶ意味というか
醍醐味のひとつとして、
千年前の人々も、気持ちや感情は
今と変わらなかったんだなぁ、と
実感することにあると思うんです。

当時の風習、風俗、常識を超えた、
今も昔も変わらない人間関係の
機微、心情、つながり等々。

そういう普遍的なものを感じる時、
会ったことのない、だけどずっと
続いていて私たちと繋がっている
日本の古(いにしえ)の人々に、
親近感と感謝の気持ちを抱きます。

自分が経験した苦しみや悲しみを
千年前の人々も同じように経験して
乗り越えてきた。

楽しいことや
慶事などおめでたいことも、
同じように嬉しいものなのだな、と。
面白いこともそうですね^^

人の営みは、いつもどんなときでも、
美しく、尊く、有り難いのだと
思います。

万葉集、百人一首、源氏物語、
枕草子、徒然草、等々。

教科書で習っただけだーという方も
何か読むものないかなって時に、
古典もぜひ候補に入れてみてください。
勇気づけられたり、
なにかヒントを得られたり、
力が湧いてくるかもしれません。

日本文学科卒の私ですが、
もうほとんど(というかすっかり!?)
忘れてるので、また読み返したいです。
漫画もいいですよねー。

元号のこと、と
井の頭公園の桜、でした。
ではではまたー(^^)/☆