小さな愛

しんどかったり、
つらいなぁということが
あると、
心を閉ざしたくなります。

もうこれ以上、
傷つかないように。
もうこれ以上、
何をも受け入れられないと
感じて。

原因がある場合や、
不安のもとの感情を
見つけられたなら、それを
改善、解消する…。
思い込みのブロックに気づく、
実際に必要な行動をする、等。

だけどそれができない時、
自分ではどうすることも
できない時、もある。

そういう時があっても
いいと思うんです。

こんな時は、
じっとして、ただ眠る。
もしくは、私の場合、
普段よりもっと念入りに
掃除したりします。

いずれも自分ひとりで
出来ること。

そうやって、
自分を癒し、
回復していく中で
気付くことがあって。

—–

それは、
自分の日常に存在する
小さな愛です。

大きな愛は、
家族、好きな人、大切な人
とのやり取りや交流、
一緒にいることで得られる
ものかもしれません。
相手がいてこそ、というか。

でっかいピッチャー、
サーバーに入った
ワインみたいな?
私ほぼ下戸だし、
ジュースにしとこ(笑)

だけど、小さな愛は
自分ひとりでいても、
感じることができます。

こちらはグラス、
もしかしたら
おちょこかも。

でもそれでも、
ジュース=愛を入れる器
には変わりないわけで。

たくさん集めれば、
サーバー級の量の愛になる…。
大丈夫。中身は同じジュース、
愛ですから^^

—–

今、私の目の前には
パソコンがあって、
キーボードの右横には、
紅茶の入った
白いマグカップがあります。

パソコンは、公私ともに
なくてはならない仲間。
紅茶は自分で淹れた
アールグレイ。
カップは森修焼といって、
20年くらい愛用しているもの。

どれも、
大事にしていて、
大事に思って、
使ったり、作ったり、
しているものです。

ここには
小さな愛があります。

そうやって見て行くと、
身のまわりの小さな愛に
気づけます。
愛しかない、ということに。

自宅にあるものだけでなく、
道端の花、動物たち、
お店の人や見知らぬ人の
ちょっとした親切、
誰かの微笑み、などなど、
どこにでも小さな愛がある、
ということに。

気付いて、感じていたら、
いつの間にか
しんどさやつらさが薄まり、
代わりに、
ほこほことあたたかい何かが
胸にあることを感じます。

これが愛。
自分への愛。
自分を満たす愛。

—–

自分が自分への愛で
満たされていたら、
自然とまた心を開いて
誰かを招じ入れ、
同時に自分も、
誰か大切な人の心に
寄り添ったり、必要であれば
勇気を出してそっと一歩…
というような気持ちになれる
と思うんです。

愛を受け取り、愛を出せる。
愛の循環ができるようになる。

心を閉ざしたくなったら、
考えても自分では
どうすることもできないこと
であるならば、
自分のすぐ近くにある、
あふれている、小さな愛に
気づいてみる。

細部に宿り、
自分とも誰かとも
大いなる存在とも繋がっている、
小さな愛に。

そうしたらきっと、また
笑顔になれる気がします^^