欲と愛について -行動の基準となるもの-

2年前まで住んでいた
大阪の家で撮った写真。
手、長いんです(笑)

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人の行動のもとに
なっているもの。
何を基準にして動くか。

大きく分けたらふたつかなと。
ひとつは欲、
もうひとつは信念、愛。

欲は、お金、性、食、などなど。
目に見えるもの。
信念、愛はポリシーというか、
人として譲れない部分、
大事にしていること、など。

通常は
どちらを基準にしてもいいし、
三次元のこの世界で
生きていくには
どちらも必要だが、最終的には
信念=「愛」を基準にしないと、
生きていけない。
むなしくて、さみしくて。
…と私は思っている。

それで、このバランスが大切。
いつも欲を基準にしていたら、
その行動の先にはむなしさしか
残らない。もしくは、
過剰に、不本意に求めた結果
としての悔恨か…。

愛にだけ生きられればいいが、
そういう訳にもいかない。
この世ではお金を稼がなければ
食べていけないからだ。

同じ属性の人同士ではなく、
時として、
より欲を基準にして
生きている人と、
より愛を基準にして
生きている人が
出会い、愛し合うことがある。

その時必要なことは、
お互いを理解しにくいから
といって責めあうのではなく、
お互いの基準を理解しようと
努力して歩み寄り、
自分にない要素を認めて
取り入れ合うことだろう。

そして、
愛を基準にして生きる人を
欲を基準にして生きる人が守り、
欲を基準にして生きる人に
愛を基準にして生きる人が
感謝する
ということ。

相互に影響しあいながら、
最終的にはふたりの信念=愛を
世界に広げていくことができたら
素晴らしいんじゃないかなー
と思う。

愛を基準にしているようで、
そうじゃないとか、
欲を至上の価値として捉えすぎ、
愛を遠ざけている…、
愛より怖れを基準にしている、
状況によって変わってしまう、
などなど…。

人がどのような基準から
行動しているかというのは、
普段からその人と接したり、
言動を見ていたら分かる。

愛を持ち、
欲はなるべく自ら満たし、
柔軟性、しなやかさがありつつ、
一本、筋が通っているというのが
いいなと。
私自身もここを目指したいです。

他人の物差しや
損得勘定で動いていたり、
表面だけ見て流される、
ポリシーがない等と感じると、
一緒にいたらしんどくなって
距離ができてしまう。

(・・・なんて書いてますが、
私本人はかなりポンコツですw
知ってる人は知ってるかと(笑)
まわりの人々、知人、見知らぬ人が
デキる人ばかりで助けられてます…)

すべては繋がっているので、
そう感じる人と自分も本当は
繋がっている。だから、
避けたつもりで反対へ行っても
反対側から「こんにちはー」かも…。
でもその時は、笑い合ったり
助け合ったりすることもあるのでは、
なんて思います。

だからまずは自分が、自分から、
愛を基準にして行動する。

そこから相互に、まわりと、
愛を循環させて
生きていきたいです。。