美意識とプロ

 

表現する人に必要なのって
美意識なんじゃないかと最近
思っている。

どこか一部分ではなく、
その人全体を形成するものだ。
意識、信念、センス、すべて。

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たとえば…。
一枚の写真を見た時、
何か違和感を感じたとする。
じゃそれは何なのか。

フレーム内のバランス、
空間の量、被写体の向き、
一瞬で感覚はそれを捉える。

黄金比率、
構図のパターンなどは
人が美しいと感じるものを規定し、
明文化して示している型だ。

でもそれらを知らなくても、
美意識があれば、
型を踏襲してないものを見た時、
必ず違和感を感じるはず。
違う、おかしい、と。
なんというか、見た時に
「きもちわるい」のだ。

そしてその感覚を、
言葉なしでも共有できるのが
美意識のあるプロ同士だと思う。

これはそれぞれの好みで違う、
という話ではない。

ここに被写体を置くなら、
空間の割合はこのくらい、
顔の向きはもう15度くらい右。

前髪の流れ具合、光の当たり具合、
何もない空間にある雑多なものが
写真を見たとき意識の邪魔をし、
被写体に集中できないから、
これは排除して撮るか
後で修正する…などなど。

それを
いちいち言葉で言わなくても、
感覚で分かる人が、プロとして
活躍できるんじゃないかなーと
思う。

理屈だけど理屈じゃない領域で
一瞬にして理解できる能力は、
不可欠だ。
そしてそれが分かる人の表現は
美しい。

美しいものは人の心に響く。
美しいものとは、
そういう型だけでなく、
そこにこめられた想いなども
含まれる。

心に響いたら喜んでもらえるから
喜んだ分だけお金を頂ける。
そういうことなのかなと。

写真ならそれを、
一瞬のうちに判断して
シャッターをきらなければ
ならない。

後でトリミングすればいい?
そんなこと考えてたら、
いつまでたっても良い写真は
撮れないと思う。

トリミングや修正なしでも
通用する写真を撮るという
気概が、良い写真を撮る秘訣だ
と思っている。

どれだけ少ない枚数で、
どれだけ修正なしで、良い写真、
魂のこもった写真が撮れるか、
ってことに注力したい。
(私もこれを極めようと
している最中)

デジタルだから
何枚撮ってもいいし、
モニターで確認できるのも
有り難い。
現像でどうにかなる。
だけどだけど。

バッテリーがあんまりない時や、
時間がない時とか、
準備していても不利な状況に
ぶつかった時など、
どんな時でも一定のクオリティを
保つ。

良い写真を撮るためには、
そういう意識でいた方が、結果、
お客様や自分のためになる。
そう思っている。

写真はフォトグラファー自身を
表している。
撮る側の美意識以上のものは
生み出せないからだ。

ダサい写真を撮る人はダサい、
ということになる。
ダセーなんて言われないよう、
インプットもアウトプットも
バランスよく循環させながら、
美意識を磨いていこうと思う。