花を撮るのも好きで、
見かけたら撮影しています。
写真を見てみると、季節ごとに
継続して撮ってます。。
これは夏だったかな…。
花を見ると心も明るくなる。。
路地などに咲く花を見るのが
さんぽの楽しみ^^
—
気づいたら続いてた、
続けてたということが多く、
継続は私の生活の基礎に
なってるなと思います。
改めて広く宣言することもなく、
もくもくと淡々とする感じ。
*新しいものでは、昨秋から
趣味で続けてることがあります。
始めた時から見てくれて感謝…。
新たな表現を見守ってくれて
ありがとう^^♡
私のまわりのどんなことも、
際限なく深く、広く、なって
いく…無限の感覚があります。
限界を決めず、調べて知り、
自分が納得できるところまで
やってみる。
一見むずかしそうなことでも、
細分化したり、ひとつひとつ
学びながら進んでいけば、
やってやれないことって実は
ないのではないかな…と。
(単純&アホの子なので
そう想ってます)
知らないことを知る、
できなかったことが少しでも
できるようになる。
これってやっぱり
嬉しくて楽しくて幸せだなーと
想うのです^^
—
カメラでの撮影も文筆もそう。
文章を書くのは小さい頃から
日課になっていました。
日記や手紙などの私的なもの、
先生に頼まれて書いた公的なもの
など、学生時代からいろいろと
書いていました。
ただそれが得意だとは
自分で想っていなくて、
書きたいから書く。
このようなことを書いてほしいと
頼まれたから書く。
その積み重ねでした。
手紙だと受け取ってくれた相手、
公的な文なら先生や聞いてくれた人、
お仕事なら編集者さんやお客様、
お店のかた、読者の皆さんが、
喜んでくれたり、共感してくれて、
自分の言葉や文章の価値に
気づくことができました。
とても感謝しています。
依頼やお仕事でなければ、
~する、~したい、のは
自分の中にある「好き」という
感情から出る行動。
写真や文章なら、それを
撮りたい・書きたい気持ちからの
行動です。
よりクオリティを上げるために
必要な修練の継続。
もっと知る、学ぶ、やってみる。
その積み重ね、継続が、プロの道、
カメラマン、ライターの道に
つながっていたのだなと。
とことん追い求める、継続する。
ここから生まれるものや可能性も
また、無限なのだと想います。
これからも、はやりすたりに
とらわれることなく、
自分の興味あることを一生かけて
知り、学んでいきたいです。
いくつになっても^^
—
2015年の初めての個展では、
写真と文章、両方を展示しました。
表現として両方を出したくて。
文章は手書きと決めていたので、
紙と万年筆のインクもイメージに
合うものを選びました。
写真はもちろん、文章も、
見て読んで受けた印象など
感想を頂けたらいいなと
思っていたところ、
字が好きという感想を多く頂戴し、
えー!と驚いて。
字も表現だとお客様から教えて頂き、
とてもありがたかったです。
貴重な経験になりました。
私が写真を始めたのは
10数年前からで、当時から今も、
1枚の写真だけで成立する世界感を
出せたらいいなと想っています。
写真が生まれるまでの時間や
エネルギー、努力を人に
知られたいとは思わないので、
説明はいらないかなと。。
(あ、でも、説明を求められた際や、
ご自分からそれを説明したいかたは
そうされたらいいと想います。
スタンス、あり方のちがいなので…)
秘すれば花というか、
言わない中に本当の花がある。
実もある。
見せるために咲く花ではなく、
本当の花の姿が。
—
ただそこにある。生きている。
無心に咲く花…。
そういうあり方が好きです。
これを継続していけたらなーと。
誰にも干渉しないし、
されたくない。
人からされてもなにもしない。
こういう私を、
そうしかできない私を
それでいいと認めてくれて、
いつも気にかけてくれて
そうとは見せない形で私を
必ず守り愛してくれる…(アリガトウ)
一番好きでいてくれる人と
ともに生きていく。
そうしたい。これからもずっと。
ともに守り合いながら。
学び、愛からの行動、表現を
継続しながら生きていくことが
私の幸せなのだなーと。
そう想います。。