1月〇日
葬儀を終えて帰ってきてもまだ実感がない。かと思えば、ふとすごくさみしくなり、悲しくなる。その感情のベースが常にあり、時に間欠泉のように強く噴き出す。間欠泉のトリガーは思い出。風を切って走った日、喫茶店ですごした時間、お土産でお菓子を買ってきてくれたこと等々。若かった頃の姿から年老いた姿、最期の姿まで私の脳裏にあり、幼かった私と今の私がその姿を見て思う。もういないのだな、会えないのだなと。家族が到着するまで私一人で号泣していたら、動いても数値は10-20くらいですと言われた心臓が、生きていた時くらいの数値に一瞬大きく動いたのは父が心配してくれたからなのかな。美穂そんなに泣くなやと。
1月〇日
危篤の知らせを受けてから今日までの数日が、数か月に感じる。またいつもの肺炎で、すぐ退院できる。そう思っていたのは母だけでなく、施設の方々もだったと後で聞いた。容体が急変し、娘さんに連絡してくださいと主治医の先生がおっしゃった時、先生も母も、娘の私達は死に目に会えないと思ったらしい。夜、ようやく病院に着いた。奇跡的にまだ心臓が動いていて、完全にではないけどほっとする。母と私が交代で付き添う。妹は小さな息子がいるので、実家で息子と待機するか、母と私と数時間いる感じ。旅立ったのは私が付き添いの時。母が、自分が来るまでなぜ待っていてくれなかったのかと言っている。胸が締め付けられた。
1月〇日
危篤状態になったのは三回。私と妹が帰省した時が最初、次の時はみんないて、最後の時が最期となった。二回目の時も最後の時と同じように急だった。ただ三回目の時とちがったのは、家族がみんな病院にいてそばにいられたこと。別室で母と妹と私が主治医の先生に病状の詳しい説明や今後の治療方針を聞いていた時。急変したと呼びに来てくださり、病室へ急いだ。意識がないように見えても耳は聞こえておられるので沢山話しかけてあげてくださいと。その後、お別れをしてくださいと言われ、みんなで父に声をかける。お父さんありがとう。この言葉しか出てこない。母、妹、私が父に声をかけた中、一番多く出た言葉がありがとうだった。
1月〇日
そうしてみなで声をかけて数分たった時、奇跡がおきた。父が若干の回復をみせ、また前の状態に戻った。先生から、あそこまで数値が低下して最後のお別れをと言った後でまた元の状態に戻るかたは数年に一度みるかみないかです、それくらいめったにないこと、お父さん頑張ってくださってるんですね、と言われた。完全には喜べないながら少しだけほっとした。だけど最期の時がきてしまった。翌日。いつもより少し早く交代してほしいと母に言われた私は、30分早く病室に行った。それが死に目に会える会えないの分水嶺だなどと誰も知らないまま。あと数十分早く実家を出ていればと、母と妹が言っていた。けどこればかりは仕方ない。
1月〇日
先生からは、父の命が尽きるのが数分後なのか数日この状態が続くのかは神様しか分からないことですと言われていた。体位等の交換をするので退室して欲しいと言われて外で待つ。呼ばれて戻った時、父の呼吸が止まり、脈拍が間遠になった。呼吸が止まって数値も低下しているので来てくださいと伝え、先生の到着を待つ間、機械が鳴った。私は、〇〇くん(甥っ子)がくるまで頑張って。お父さん息して。一回でいいけぇ息してと言うと、一度まぶたを閉じ(危篤になって初めて)、深呼吸をしてくれた。すごい、お父さん。もっかい息して、と私。心臓が止まりかけ朦朧とした中でその後数回の呼吸。父は頑張ってくれた。十分に。
1月〇日
二日目の危篤の時にいっぱい話しかけて、父も聞いてくれてて。お礼も沢山言えた。お別れのつもりで。三回目はおまけの奇跡。死に目に会えなかったのではなく、二回目の危篤の時、そばにいて話しかけてお礼も言えたのだから、それが死に目だったのだと思おう。みんなでそう話した。母と妹が悔やむのも、立ち会えなかったのをさみしく思うのも、私も同じ立場なら同じ気持ちになるだろうから分かる。実際まだ持ちこたえてくれるかなと少し楽観視していたのもあって余計に。一瞬の隙というか、ほんの数十分の間に、父は旅立った。母の言った、なぜ待っていてくれなかったのかという言葉は、悲しいひとりごとのようだった。
1月〇日
父はみんなを待っていて、めちゃめちゃ頑張ってくれた。最期の様子を私は家族に話した。それを聞いてもなお、悔いやさみしさが消えることはないだろうと分かっていたけど、少しでも悔いが薄まり、間に合わなかったのも仕方なかったと、二回目に覚悟してお別れができたのだからそれでいいと、思えたらいいなと。同時期に亡くなるかたが多かったようで、通夜や葬儀の予約が埋まっていてすぐにはできなかった。ただそれで、慌ただしすぎず、少しゆっくり父とすごせることになった、のはよかった。いつまでも名残惜しいのは変わりないものの、長くいられたから。でも体はどんどん冷たくなっていく。それがこの上なくさみしい。
1月〇日
姿がなくなるのはさみしいことだと想像できていたが実際になくなってしまうと、さみしさが身に染みる。あぁもう会えないんだ、いないんだ。けど心はまだそれを信じたくなく、事実を受け入れてはいても、心が受け入れられない感じ。自然と涙が出てくる。そういうものなのだなと思うことにした。頭で事実を理解していてもすぐ心はついていけず、さみしく、悲しい。さみしさと悲しさの間欠泉がこれからも噴き出すだろう。それも、こういうものなのだと思うしかない。小さい頃、父が仕事帰りによく買ってきてくれたお菓子をひつぎに入れた。当時とパッケージは変わっても味は同じ、思い出のお菓子。今頃食べてくれているかな。