本心は心の奥にある。
気付いていない場合も多い。
特に、本当の気持ちを見ないように
してまわりに合わせてきた人には、
本心とは自分でも分からないもの、
だったりする。私がそうだった。
普段の意識、表面の意識はほんの一部。
本心が分からないから、理想を掲げる。
表面の意識で。言葉で取り繕う。
本来はこうした方がいい、
一般的に考えたらこの方が建設的だ、
など。
だが、心の奥の本心は違うのだ。
本心が分からないのではなく、
認めたくないだけ。
本心を認めるとつらい。
だからこれは本心じゃない。
捨てるべきものなのだ。
そう思う。思い込もうとする。
でもそれは逃げである。
本心をないがしろにし、
自分をないがしろにしている。
本心と向き合わないのは怖いから。
本心と向き合うのはつらい。
楽じゃないかもしれない。
だが本来、本心とは純粋なもの。
それに自分で勝手に余計なもの、
見方をくっつけているだけだ。
常識、人からどう見られるか、
格好悪いのではないか、
糾弾されるのでは、
どう考えてもそれを追求するのは
大変だ、避けたい、などなど。
それらをはぎ取れば、そこには
ただただ純粋な自分の本心がある。
その本心をながめる。
こどもみたいにあどけなく、
素直な心や願望がそこにある。
そして自分の今の姿、ありかた、
行動に、本心はあらわれている。
分別くさい大人の意見などどこかに
置いておき、本心を見つめてみよう。
本心って
あなたが本当に希求しているもの。
捨て去ったように思っても、
実はしっかりある。
本心って原始的かもしれない。
洗練されておらず、
認めると影響が出たり、時には
やっかいなことになるかもしれない。
だけどそれがなんだというのか。
本心を認める。
本心からの希望を実現しようと決める。
そこからあなたの宇宙は動いていく。
今、解決法がないからといって、
解決できない訳じゃない。
あなたが認め、決めたなら、
方法は出てくるのだ、いくらでも。
本心とは
今自分が認めたくないもの。
本心とは扱いに困る、苦しいもの。
ふわふわと軽く、扱いやすく、
どこに出してもすべての人から認められ、
賞賛される、そんな事とは違うもの。
・・かもしれない。
だけどそれを認め、実現すると決め、
行動したとき、姿を変える。
明るく、力が湧いてくるような、
素敵なものに。
誰がなんといおうと、
自分はこれを実現したいのだ、という
強い気持ちと共に。
本心を知りたいと思うことほど、
本心を知るには覚悟が必要だったりする。
だが、覚悟を持って知っていかない限り、
本当の幸せにはたどり着けないだろう。
幸せに似たもの、で満足するのか。
取りに行こう。一番欲しいものを。
一番望んでいた未来を。
一番欲しいものを欲しいと認める。
怖くたって弱くたって悩んでたっていい。
もうだめだ・・と諦めかけて泣いていた
としても。
そのままの自分でまっすぐに行動すれば
本心という希望を、実現できるはず。