生きてる写真 -食べ物の写真について-

 

 

「作ってくれた人への感謝、
味わっている時、
食べて満たされた気持ち。
すべてが味わいで、
喜びだなーと。」*私のブログ記事より。

…このような気持ちを大切にして
撮影したいと想っています。

食べ物の写真にはつながりや物語が
ある。役割も。

主役、脇役、必然性や臨場感など。

これは、以前、私の講座に参加して
くださった皆さんにお話しして、
伝えさせてもらっていたことでも
あります。

当時、プロとして駆け出しの私に
リクエストを頂いて開催した講座で、
私自身もいろいろ学び直すいい機会に
なったので、とても感謝しています。

ブログを見て、今の仕事につながる
「個展をしてみては…」と声をかけて
くださったギャラリーのオーナーさん、
(ありがとうございます)

個展での写真の展示を
快諾してくださった
大阪、京都などの名店の
オーナーさん・代表者の方々、
(ありがとうございます)

個展の最初のお客様の女性で
この時が初対面、開口一番
「プロのかたですよね」と
言ってくださった美術家の先生、
(ありがとうございます)

私の写真を見て
「一緒にお仕事をしたい」と
連絡をくれた編集者さん、
(ありがとうございます)

後進の私に、身に余る感想や
ありがたい言葉、アドバイスを
くださったカメラマンさん
(長年に渡り第一線で活躍して
おられる方です。
ありがとうございます)、

ほかにもいてくださる、
私の写真を見て、想いや感性に
価値を感じてくれた方々の
おかげで今の私がいる…。
本当に感謝です。

いろんな考えや視点がありますが、
私は、食べ物は一般的な「モノ」
ではない、と想っています。

なので通常のブツ撮りとはやはり
少しちがうという感覚です。

私の考えとして述べると、
仕事で指示がある場合は別として、
口に入れるもののそばに必然性が
ないものを置かない。
飾り目的、食べられない、
衛生的に不快さを感じさせるもの、
(その可能性があるか高いもの)など。
…が望ましいなと。

(*これは自分の裁量で撮影する場合
の話で、お店に置かれているものは
当然それも含めてのお店さんなので、
この限りではありません)

セッティングやコーデも
被写体が「食べ物」である以上、
食べるのが最終的な目的であり、
それに沿ったものがいいと
想いますし、仕事の写真など、
その時は食べないor撮影が目的でも
そう。

単にモノとして扱う(ように見える)
写真は、食べ物や食べ物が生まれる
過程に携わった方々に対する敬意を
感じられなくて、胸が痛む感覚が
私にはあります。

個人的には、見た時にできるだけ
異物(と感じるもの)や違和感がない
状態がいいなと。

また、権威とされるもの…
資格だったり、ある規定・基準に
よる判断等から、写真を見る人に
「分かってるんだな」とか
「いい」と思う・思わせるより、
(これも自由なので、そうしたい方
はそうされたらいいと想います)

対象に敬意を持ち、純粋に
「あぁいいなー」と想う気持ちを
もとに撮影し、素晴らしさや良さ、
おいしさを伝えたい。。

この、本当に感じた気持ち、
好き!とかおいしそう!という
想いが写真に表れる…。
それが命であり、肝なのかなと。
そう想います。。

仕事の撮影は、お客様のご希望や
その媒体の目的に沿うのが第一義
なのは基本として…。

職人に徹するのもプロですし、
作家性を追求するのもプロ。
(*職人に徹する+撮影の目的に
沿うのは前提でありつつ、
作家性の場合は仕事だとそれを
求められている場なら可で、
自分の媒体なら限界なく自由に
追求したらいい、と^^)

どちらでも、両方でも、
(目的や要求に対応する技術プラス)
自分の特性と、(これは無意識に
にじみ出る個性でもあるかも…)
美意識に基づく芯・ポリシーを
持っていたら、こちらの感性…
いいと想う感覚をよしとし、
共感してくださるどなたかの
お役に(少しは)立てるのかなと
想います。

それはとてもありがたいことで、
この上ない喜びです。

おいしそうと言って頂けたら、
私の写真に共鳴してくださった
のだなーと嬉しくて…。
ありがとうございます^^

他者への自己顕示や誇示、承認を
求める目的での写真ではなく、
(それが目的ならいいと想います。
人それぞれなので…) 私は、
自分の純粋な想いをもとにした
表現として写真を撮りたい…し、
その写真から得られた共感や共鳴で
喜びを感じていたい。

好きだからこそ、
純度の高い想いを大事にしたい。
食べ物の撮影もそうですし、
大切な人への想いももちろんそう。

食べ物の写真…。私は
『その食べ物に感謝し尊重しながら、
背景や物語、込められた愛、
好き!という気持ち、
純度の高い想いを大事にして、
見た人においしそう♪と感じて
もらえる写真=「生きてる写真」を
撮りたい』です^^

そのためには、無私の気持ちや
スタンスが必要なのかなと。
対象のもの(や人)に対する、
見せかけではない本当の敬意も。
それは写真を見たら感じるし、
分かると想うので…。

食べ物の写真だけでなく、取材…
インタビューなどもそう。

自分は黒子や後見みたいな存在で
被写体、食べ物やインタビュイーの
かたの良さ…素敵な個性を、
少しでも引き出せたらいいなーと。

自意識や自己顕示などの力みを、
見る・読む人に感じさせない写真や
文章で、対象となるものや人の良さを
伝えたいと想っています。

だから、公私ともに
そういう記事や動画を拝見すると
嬉しくなります。
そのスタンスや感性に共感するし、
あぁ好きだなーと^^。。

食べ物を撮影する時、
綺麗に見えるだけだったり、
一般的な「モノ」として撮るより
(それはそれで、求められてたり
目的であるならいいと想います)

食べ物は、口にするもの、
体・心の一部となるもの、という
意識から撮影していきたいです。
命を持つ「生きてる写真」を。

食べ物っていい。
ほんと好き!です^^