普通の良さ -ベースとなる指針-

*カレー蕎麦です。普通はうどんなのかもしれませんが、これもおいしいです^^

普通だと思うし その感覚がある だから飛べるしはみ出せるのだ
普通だと言われていやがるのが惜しい普通だからこそ分かる共感

「普通の良さ -ベースとなる指針-」

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◎創作ノート<解説>
何者かになりたがる人が多いなーと思います。何者=有名な、すごい、才能あふれる、目立つ、人です。でも何者かになんて無理にならなくていいし、なれないし、自分を生きるしかない。有名でもなく、すごくもなく、飛びぬけた才能もない、目立たない自分を。それが大部分であり、普通が多くあるからこそ、異端があるし、お互いを引き立て合える。互いの良さを発揮できる。そう思っています。私は飛びぬけたなにかを持っているとも思ってないし、普通の感覚を持って生きてます。普通が良い・謙虚でいることが良い、みっともなくない、という親の教育もあるかもしれません。自分が普通の感覚を持っていてその価値を分かっている状態でないと、いわゆる普通のことも、かぶいた、ぶっ飛んだ、異端の表現もできない。本人自体が意図せず・無意識にぶっ飛んでいる場合もありますが、それだと通常の生活を送りにくそうでまわりにサポートする人が必須になるし、ご本人もつらい経験をしておられる場合も多い。飛びぬけた才能に憧れを持つ人も多いですが、持ったら持ったで大変だったりつらかったりすることもある。普通っていい&素敵なことです^^普通をいやがる顕示欲の強さが惜しいというか、いらない。普通だからこそ、その感覚があるからこそ、多くの人に共感してもらえることが分かる、と私は思っています。心がきたなくて悪意がある場合や人としてないことをしている場合・平気で他者の表現をパクっている場合、普通にすら達していない=だから評価されていない、のに、それを普通だから評価されないのだと言ってのける輩もいて、それは普通ではなく、普通ですらない、ので間違いです。そうじゃない普通、良識を備えた普通はあらゆる表現のベースとなる指針であり、普通の感覚という軸を持っていることが大事だと思います。誠実さとともに。