取材させて頂いたお店のかたと
お話していて、
すごく強く感じたことがあって。
それは、自分のままで進んでいこう
ということです。流されず、本来の
自分が納得することをする。
これは
強い欲や、成熟を目的としない
未熟さからの開き直り、
自己中な考えや攻撃などではなく、
ポリシーや愛を基準とした考えと
言動のままで進むという意味です。
自分が心から共感し、これからも
こういう方々と関わっていきたいと
想う人達も同じ感覚でおられるのを
再確認できて、改めて想いました。
—
私が無意識に守っているのは
心を開き、当事者意識を持つこと。
取材もそれに沿っていて、
自分が見て聴いて感じたことを
書く(それに合う写真を撮る)など。
これらは、誰知らずとも、
自分がそうしていないと自分に
堂々としていられないという類の
ものです。
目に見えないものを大切にする。
といっても、生きていくにはお金が
必要で、ないよりあった方がいい。
必要な分は増やさないと
やっていけないので、ロジカルに
考えることは大事だと想います。
でも、そこで考えることや数字には
必ず人の想いがあることを忘れては
いけない、と。
SNSのフォロワーを増やすとか
効果的だと言われるノウハウなど、
たしかにそれをすれば一定の効果は
あるのかもしれませんが
そこだけに拘泥したり、
数字の多寡に一喜一憂することに
意味を見いだせなくて。。
大変かもしれなくても、
自分が関わる仕事では
誠意や信頼を大切にし、そこに
付随するものとして売上げがある
のが望ましい。
私が仕事で関わらせて頂いて共感し、
こういう風に生きていきたいと想う
オーナーさん達は、経営も成り立たせ、
お金ではない価値を最も大切にして
生きておられる。
それが素晴らしいと想うし、
世の中すてたもんじゃないなと
すごく心強く感じて。
近年…最近、
職業倫理はどうなってるのかな…とか
言ってることとしてることがちがう等
の言行不一致
(△△していないと言ってしていたり。
事実を言葉でごまかすことはできない
です。このような言い訳や自己弁護も
含みます)を拝見し、自らの頭で考えず
見た情報や姿に流されて生きる危険性
を感じましたし、
(私も今よりもっと前は流されてました…)
そういう現象の多さに、欲の強い人や
声の大きい人がいうことがまかり通るの
かなと虚無感を持ちそうになっていた
ところだったので。。
見てる情報や見せられてる姿の奥にある
意図や本当の姿を見抜く。
そこから判断する。流されず。意識的に
自分と大切な人にとっての最善を選択し、
行動する。
それが大事なのだと分かり自分なりに
実行して生活していく中、
依頼を受けて仕事で連絡させてもらった
オーナーの方々が
いちカメラマン・ライターである私の
あり方や熱意を意気に感じ、
取材に応じてくださる。
そのままで、それでいいのだと認め
応援してくださる。
ほんとありがたいです。
だから私もそれに応えていきたい。
真摯に。これまでと同じように、
今もこれからも。
心にもないことは言わない。
どんな時でも。
使う言葉にしても、
おいしいからおいしいと言いますし、
また来る気持ちがあってまた来ます
という。
迎合やおもねりではない、
本当の気持ちに沿った言葉を使う。
—
ここまで、自分が取材する立場で
考えてきて、今度は客としての立場と
お客様になって頂くかたについて
考えてみます。
私も客として有形・無形のなにかを
購入したり、頂いたりしています。
そのやりとりで必要だと想い、
気をつけているのは、客でも
やり取りしてる片側というだけ
ですので、人としての思いやりや
良識は必要ということ。
お金を使う側が上とかじゃない。
そして、お話を伺って思ったのは
お客様が必ず善かというと
そうじゃない場合もある。
お客様は神様…じゃない。
世の中にはいろんな人がいます。
いろんな人が
いろんな考えを持って行動する。
それは自由です。
ただ、その中からきちんと
本当の意味、本来の目的から
お店やクリエイターの提供するものの
価値を理解し、尊重してくれる
お客様・取引先様を、
お店やクリエイター…私の立場だと
フリーランスのカメラマンやライターも
選んでいい、のかなと。
*私はほんと幸運&幸せなことに、これまでの
お仕事でご理解と尊重を頂けています。感謝です。。
それは自分の大切な資源である心身
=ストレスのない心の状態、
モチベーションの維持、体への負担など、
提供する側が守るべきもの。
それこそお金に換えられない、
お金以上の価値がある、と想うものを
守るために、です。
—
今回、冒頭のお店のかたが、
「贅沢かもしれませんが…」と
前置きしてお話してくださったことが
あって。そこからの考察を書くと、
お店のかたが、誰知らずとも、むしろ
誰にも知られなくていい気持ちから、
自分の信念への忠実さから、
自分が最も価値あると信じる食べ物を
作って提供しておられる。それが、
価値を分かった人達に支持されている。
(といっても、好きで楽しみながらして
おられて明るい雰囲気です^^)
そこには、
自分が特別と思われたいとか、
わるぎがない場合であっても結果的に
お店が大事にしているであろうことを
理解しようとしない行動をしたり、
あえて言わないことを忖度or
確認しないまま、客だから、
お金を払う立場だから、褒めるから、
紹介するからいいだろうというような、
自分の都合や大義名分で来店する
(依頼する)お客様が、来にくい
営業スタイルにしておられる。
これは重要なことかもしれないなと。
お店だけでなく、フリーランスの
仕事人、クリエイターにとっても。
お店を維持していくのは大変なことも
多いと推察しますし、経費面だけでなく、
心の状態…モチベーションとして、
理解してくれる人、共感できる人、
関わりたい人と関わりたい気持ちは
正直かつ大事なことだと想うのです。
先に述べたように、仕事のもととなる
自分の大切な限りある資源、資本である
心身を守るために。
—
自分や自分の大切なもの・人=
作っている食べ物やお店そのもの・
・従業員、-家族や恋人もそう-
をないがしろにしたり、失礼だったり、
直接的ではないか、そうは見えない
(見せない)としても、なにか
純粋な提供以外の目的(下心など)が
あるといった場合、
それがたとえ以前からの知人や
しがらみのある人でも、過去に
ご依頼をお受けしたことがあっても、
こちらがことわりにくいと踏んでの
依頼であっても、
提供やご依頼をことわる、
それに準ずる対応を考えるのも
大切で、必要なのかなと。
自分の一存でおことわりできないと
したら、組織に属しているかたなら
それもあるかもしれませんが
(職形態や可能性として)、
フリーランスのクリエイターであれば
自由にできる。自分の気持ちや芯、
自分と大切な人の心身を守る選択と
行動をして、いい。
これはフリーランスの特性、特権、
メリットといえますし、
雇用されていない不安定さを補う
利点のひとつだと想うので。
また、依頼をいったん受けたとしても
その後、事情が変わることもある。
(社会情勢や個人的理由でも)
ご依頼を辞退させて頂くのは
こちらが有する権利でもあります。
辞退させないような圧を
*心的負担を感じた時点で圧であり、
そう感じるこちらを咎めるような空気が
あるor蔓延してる所は、安心できないので
居場所として機能してない・適していない
と私は想います。
**圧はいろんな形があり、攻撃や暴走等
の直接的なものと間接的なもの=現実や
事実を認めない・ごまかす・とぼける・
無邪気さを装う・時期を伺う(ほとぼりが
冷める時はなく、もう見抜いているので…)
実像とはちがうよく見せるためのアピを
する・分かっている知っていると暗に示す
(あて推量で的外れor職業倫理を疑う言動)、
落ち込んだ様子や被害者意識を連想させる
ものを示すなどして、こちらに持つ必要の
ない罪悪感を抱かせようとする、
沈黙する、同情をひく、などもそうです。
***思い通りにならないと、干渉や攻撃、
不安や疑念を故意にあおる、論点のずれた
示唆で的外れな批判をする(論点のずれが
悪意からの意図的なすり替えか、ちがう
内容や前提であると理解できずそうしてる
のかは分からないですが…)、暗喩を用いた
減らず口、詭弁、誹謗、被害者意識を持つ
・示すor必要のない罪悪感を抱かせようと
する、など。
これらは感情の搾取だと想います。不当で
理不尽な。誰に対してもそれはしないのが
望ましい。ただ、それをしてもいい・
ゆるされるとしたら、家族や恋人などの
関係性においてで、双方が想い合い愛し合う
=お互いに頼り合う、そうしたい意思や
気持ちがあるのが権利になり得ると想うのと、
互いに必要な時に依存し合い、頼り合って
生きるためにも、そういう場面があっても
いいのではないかと想います。
言い換えると、そうではない関係性の人が
一方的にそれをしようとする・思い通りor
コントロールしようとする、のは執着で
権利のない人がしている搾取であり、
尊厳を害することからしても迷惑です。
思い通りにしたいから、気をひくために圧を
かけるという、自己中で未熟な行為に同調
するのが優しさではなく、本当の優しさとは
そのような行為をしている人と今現在深く
関わっている・心的に近しい人なら、愛から
苦言を呈す(これと逆のあおったりたきつける
言動は無責任で、責任とれないことを軽々に
するのは信用できないし不誠実)、近しくない
人なら、その人からキョリをとる(のが無難
だと想います)、欲が強く、良識のない人に
好意を持たれる・ターゲットにされた場合は
理解してくれる人(家族や恋人)と協力しつつ
守り合い、ふたりの課題として共有しながら
(+それぞれが守る・連絡を取り合って進む等)
毅然とした態度で自分の人生を生きることが
最善だと想います。それが自他のためだから。
表面的にではなく本当の意味で。長期的にも。
また、単独ではなく複数だと、尻馬に乗る、
便乗攻撃、周囲で肩入れ+人を傀儡のように
して不満をこちらにぶつける行為も、搾取や
迷惑であることは同じです。
(傀儡のようになっている=周囲+その人
ご自身の責でそれも波長やあり方の共鳴に
よって生まれたもの、構図だと想います)
****人は誰かの思い通りになるために
生きているのではない。し、思い通りに
ならないことで不満を持つのは、権利のない
人が一方的に持つ被害者意識からの搾取や
甘えであり、こちらは権利のない人からの
依存や搾取、甘えを引き受ける気も義務も
ないのと(命が有限である以上、自分と自分の
大切な人・尊重してくれる人にエネルギーを
注ぎたいですし、与えられた命を全うする
意味でもその方がいいと想います…)、それに
気づかない・気づいても変わる気のない人に
対しこちらができることはなく、する必要も
ない。それはこちらに対してもそうで、
なにもしてくださらなくていい。
こちらがなにもしていないにも関わらず、
不当な扱い・攻撃をしてこられるのは理不尽
ですし(思い通りにならない・気に入らない、
は理由にならないので)、そのような人に
一般的な人に対する良識を持って対応しても
それがやむことはない…のが近年の動向で
分かりました。経験からも、きちんと防御
する、言うべきことは言う、キョリをとる、
のが最善でとても大事だと実感しています。
自らの不満や劣等感は、自分で向き合い
解決すべき問題や課題であり、ターゲットや
自分が意識している人は関係ない、です。
関係ない人にその不満などをなんらかの圧
として出す・不当にコントロールしようとするのは
自己中心的な行為で、都合良く解釈できそう
なことがこれまでにあったとしても反射に近い
もの、もしくは分からない・知らないまま
都合良く解釈したもので事実とはちがうのと、
その行為と反射自体、偽物でかりそめなので
それがまた不満の原因になっていく。これを
繰り返していると、(恋愛含め)人間関係全般で
信頼関係を築くのは難しいような気がします。
ただそれを選択するのは自由なので、
こちらに関わらない、圧や干渉をしてこない、
のであれば、そうしたいかたはそうされたら
いいと想います。
これまでに、自分と自分の大切な人の尊厳を
尊重してくれない、それ以上に、意図的に
(そうは見せないとしても)悪意を持った言動
で心身を削られてきて、それをしてきた方々
とこちらが関わろうとする気持ちになれない
のは、生命維持や幸せに生きる権利を有する
人間として当然だと想うのと、静観し、
キョリをとるのが最善(見ることもしないのが
本当の最善)だと想います。
ただ、先述したように、こちらがキョリを
とっていてもあえて絡んで関わろうとしたり、
コントロールしようとしたり、圧をかけてこられる
(良識がない・自分の不満を他人で解消しよう
とする人からの)害があるなら、最終目的は
関わらないでいることなのは同じながら、
目指す未来に向かうための手段として一時的に
それを行うしかない場合もあるかと想います。
どのような形であってもかけて
こられるとしたら、その圧は
脅しに近いものと判断できますし、
こちらが辞退する権利を行使して
いい場合に該当する。そう想います。
また、気が乗らない
気がすすまない、というのも
理由になり得ると想います。
*ただそれをそのまま表明するかどうか
の是非はここでは置きます。私個人は
表明する必要はないと想ってます。
うそを言うのではなく、
配慮してお伝えするのが望ましい。
私が素晴らしいと想うかた、オーナーの
皆さんは、このあたりの伝え方も素敵で
共感しますし、勉強になります。そして
それもご自分や大切な人を守ることの
重要性と、それが正当な権利だと深く理解
されているからこそだと想います。
**そうしにくい、伝えにくいとしても、
第一義はご辞退することである以上、理由を
説明しにくいからといって依頼されるままに
引き受けるのは本末転倒であり、
理由の説明も、できたら、でいい範疇のもの
で、ご依頼に沿えない旨をそのままお伝え
するので十分だと想います。それ以上なにか
言ってこられるか、間接的な形(沈黙など)
どんな形であれこちらの辞退を受け入れない
ような圧をかけてこられるならば、それは
本来の目的とは違う意図でのご依頼である
可能性が高く、そうならなおさら、ご辞退
するのが妥当だと想います。
関わること自体こちらにいい影響がないか
その可能性がある場合、またクリエイター
自身にではなくても、クリエイターの大切
な人・ものの尊厳を尊重しない等の言動が
これまで・現在にある場合、もしくは
それを第三者に説明できない(しにくい、
したくない、説明することにかなりの労力を
要する)等で、お返事自体しない、という
選択も正当なものと私は考えます。
理由は先述した通りです。
その依頼を引き受けないことに、
誰もが納得する理由がなくても
いい。
(正確には、納得してくれるかたはいて、
それは自分と同じ価値観だったり
自分や大切な人の心身を削られた経験が
おありになるかたかと想います。
納得しない人がなんらかの形でこちらの
罪悪感を刺激+それに乗じての攻撃がある
可能性を考慮しこのように記載しました)
納得しない人がいたとしても、
自分の気持ちやモチベーション等を
尊重する権利を行使していい。
ほかの誰でもない自分が
自分の命と同義の資源である
心身を守るために。
自分のエネルギーの源である、自分の
大切な人の心身と尊厳を守るために。
これまでされてきたこと…も精査する
基準や考慮に入れていいと思います。
そのつもりはなかった、
いやなら(依頼を)ことわればいい、
というのは、依頼する側の言い訳や
社会的な(…と感じさせる)目を利用した
圧であり、
状況等への配慮と思いやりのない行動を
これまでにされた、それをあえて続けて
こられる、という事実があるならそれは
お客様になって頂くか検討する以前に
知人でもない、と私は想います。
*これまでの言動やあり方からちがいが分かり、
すでに形骸化した表面的な関わりになっていて、
こちらに及ぼす良い影響・価値がないので。
ちがいとは、1度でも人としての線を越えたと
こちらが判断する出来事が過去にある、また
ある程度の時間をかけて見てきた結果の判断、
見抜いたものです。相容れない、と。人として
ないと感じる出来事、尊厳を尊重しない言動、
これを1度…だけでなく何度もされた場合なら
なおさら、今後もつながる機会はなく、
関わる必要もないと判断します。このちがいは
その人であることと同義なので変わらないです。
価値とは愛や信頼です。強い欲やお金(+自己中
な欲がベースのお金を介した関わり)ではなく。
このことは、誰知らずとも自分が
分かっていたらそれでいいのと、プラス、
そういう自分や状況を理解してくれる人
がいたらさらに心強くていい。
(自分が心をゆるした信頼できる人なら
理解してくれるので大丈夫だと想います)
「贅沢かもしれませんが…」としつつ
落ち着いて毅然とした口調でお話して
おられて、そこにとても共感しました。
—
お金が必要だとしても、
自分の大切なもの=信念や、
自分も含めた大切な人の心身を
守りながら、得ていく。
それは、誰からの依頼も受けるという
一見、平等に見えつつ、著しく
エネルギーやモチベーションを下げる
可能性のあるリスキーなことを
しなくてもそうできる。
というより、
それをしないでいる方が、結果的に
より長く、よりクオリティ高く、
自分の才能や喜んで頂けるものを
世の中に提供し続けることができる
のではないか。そう想うのです。
自分が関わりたい…関わる価値がある
人とは、自分や大切な人の尊厳を守り
良識を持った対応をしてくれる人です。
どう見せていたとしても、本質として
常に自分を優先して考えるかただと、
こちらの事情や気持ちを
あえて忖度しない、それ以上に
こちらの尊厳を傷つけるようなことを
客という立場から(そこに乗じて)、
してこられたりする。
それらを防御し、自衛する意味でも
依頼を精査し、引き受けない場合が
あることを自分にゆるす。
対外的に示す。のも大切なことだと
想います。
お客様と提供する側、だけでなく、
人とのつき合い全般においても
これはとても大事なこと。
正当防衛、防御である。と
自分の経験からも強くそう想います。
—
私が私のままに…自分のままに進む。
それは時に圧や妨害、干渉などの
摩擦や軋轢が生じる場合もある。
だけどこれだけは言えます。
自分に忠実に進むことで必ず、
自分や大切な人の心身を守ることができ、
そこからモチベーションも上がり、
エネルギーも湧いてきて、
より多くの人に喜んで頂けるもの、
価値あるものを生み出せる。
それによって世の中に貢献できる、と。
目先の摩擦をおそれて流されたり
しない。今までそうだったとしても
今から、これからは。
そうすることで
広義や真の意味での創作、心からの共感、
敬意と愛を持つ関わりへのエネルギーを
しっかり守ることができるので。。
もし今後、欲の強い人と、愛ある人とで
傾向や世界感が二極化するとしたら…。
私は愛ある人たちのいる世界に進みたい。
そこで生きていきたい。あたたかな理知と
本当の思いやりのある人たちと笑顔で。
ともに。
信頼と愛ある関係を大事にし、
経営も順調で、多くの人々に求められ
喜ばれるものを生み出し続ける人たちの
いる世界。見せかけではない本物の志と
謙虚さ、恥を知る感覚…含羞を持つ人、
そういう人のいる世界が好きなので。。
私は私のままで進む。
自分は自分のまま、
自分じゃないことをしない。
自分だからできること、
自分でいるから関われる人…
互いに敬意を持ち、言動や姿勢に
共感し関わりたい人…と関わる。
限りある命を最大限に活かし、最高に
幸せを感じて生きていくために。
誰かが、その人のまま
本来の自分で進むため、流されてた
これまでとちがった意識的な選択と
行動をするなら…。それに共感します。
応援する。
しんどいとか、これでいいと思う?
と相談されたなら、欲の強い人からの
脅しや挑発、批判や攻撃があったと
しても、それは意に介さなくていい。
取るに足らないことだと伝えます。
私の大切な人であれば、誰よりも
それを理解し、共感し、味方でいます。
大丈夫、まわりは気にしなくていいと
何度でも伝え、支えさせてもらいます。
(選択を尊重しそれに沿って支えます)
私がお仕事で関わらせて頂いた方で
とても共感し、こうありたいと思う
お店のかた・クリエイターの方々は
このような自衛をしっかりされている。
パートナーのかたもそれを理解し、
支えておられるのもあって、
これでいいのだ、と改めて強く
想いました。
そうしていくことでモチベーションと
尊敬する大切な人の
限りある資源(心身)を一緒に守り抜き、
元気でいてほしい。そうすることで
末永く活動してもらいたいですし、
その姿と生まれる作品を見たい。
ずっと見ていたい^^です。。