人のために、の前に -自分を満たす-

人よりも自分を満たすのが先で空っぽで出来ることなどない
人のため何かを出来る自分とは満たされフラットでいる自分

「人のために、の前に -自分を満たす-」

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◎創作ノート<解説>
誰かの役に立つ、のは良いこと。だけどそうすることで自分の価値を高めようとしたり自分を認める手段にする、のは未熟だと思います。誰でも自分以外の人、家族や身近な人の役に立ち、喜ばれたら嬉しい。私もそう。相手も喜んでくれて自分も嬉しいなら、そのように行動するのは良いことです。ただそれが、逃げの手段や、自分の価値を認めるための手段、いい人だと思われたい、そう言ってもらいたいという欲をもとにしたものであれば、そのような行動をする前にせねばならないことがある。それが、自分を満たす、ということ。内面が空疎で、欲ばかり肥大化した人間に出来ることはない。というか、したことが相手のためではなく、どのようにみえても自分のためであるということ。仕事や職務でしていることを恩着せがましく利他の行動だとしてアピるのは不遜だし(そんな人はいないと思いますがw)、心から、純粋に、相手を思ってする行動ならいいけど、そうじゃない場合は有難迷惑なこともある@直接そうは言われないとしても。純粋な動機による行動かどうかは見る人が見れば分かるものです。同じように心が綺麗だったり、欲得抜きで人のために尽くせる人であればなおさら。職務でなく、私的な場面で、公的な場面でも私的な範囲と裁量で、顕示やアピりでなく本当の意味で人のために何かが出来る人というのは、すでに内面が満たされていて、フラットでいる人。自分を満たし、コントロールしようとせず、相手の自由@それはおせっかいや良かれと思ってしたことを受け入れない自由も含みます、を認めて受け入れられる人。自分の中に、依存や過度な甘えがあったり、逃げてばかりだとそうじゃない欲まみれの人をいい人だと勘違いすることもあるかもしれません。人のためにという裏にある我欲に、実は誰でも気づいているものだと思います。自覚がなくても「いいことしてくれてるはずなのになんだかいやだな」とか「もやもやする」「受け入れたくない」という気持ちになるなど。人助けや善行に見えても、欲からの偽善と気づいたら受け取らなくていい。NOを言ってもいい、受け入れる、関わるのも自分の裁量で、善意に見せかけた偽善の押し付けに従う必要はない、と分かっていれば、取り込まれたりしないので、大丈夫だと思います。