掌に -自らの最善を-

執着をせずにするべきことをしていたら最善手の上にある
安心と笑顔を手にしたいのなら今それを持つことが方法

「掌に -自らの最善を-」

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◎創作ノート<解説>
不思議なことにというか、節理でもあるのかなと思うのが、投げやりではなく、どちらでもいいとかこだわらない状態、心的に軽やかで良い状態だと、最善に導かれるなーということ。執着したり、こだわってたり、意地になってたり、自分のことばかり考えてたりすると、その時に思う”いい”と思う状態と逆方向へ進む。気をひきたいと思って何かをしたら、きらわれたりドン引かれたり、近づこうとしても遠ざかられたり。相手の気持ちや状態、全体が全く見えてなくて、考えてもいないから。相手に好意があるかどうか、相手のためというすり替えの裏にある自分の課題や問題に向き合えていない、そんな自分を相手にどうにかして欲しい依存心に気づけなければ、ずっとそのまま。一個人の我欲丸出しで望む”いい”状態ではなく、全体にとっての良い状態へ進んでいく。状況が変わることはない。気づいて、本当にどうなろうといいという気持ちになり、相手には相手の気持ちや状況があるように自分にも自分の気持ちがあり、状況を選ぶ権利があると分かった時にはもう解決している。良い意味でどうなってもいい心境だから、どんな結果も受け入れられる。それと、近い将来や遠い未来、どんな自分でいたいのかを常に頭に思い描くこと。少し先の自分が安心して笑顔でいたいと思うなら、今、たった今そういう自分でいられる選択をすることです。しんどいと分かっていることに刺激欲しさに首を突っ込まない@自覚無しの場合も多い、コントロールやねじ曲げてでも人様を思い通りにしようとしないしそれが横暴だと気づく、ことで、焦りや苛立ちからは解放されると思います。安心、笑顔を手にしたい、掌(たなごころ)に乗せたいと思うなら、自分の裁量でどうにかなることにだけ注力し、自分に集中する。相手のことを、自分以外のどんな人でも、その人なりの気持ちや状況があると認め、その人の自由と人権を尊重すること。これが自分にとっての最善、ほかの人にとっても最善なのだと思います^^