自分の手ではなく神様の手だと 摂理と道理 因果応報
誰だっけすぐには思い出せないというほど今に集中しよう
「前進する -切り替える-」
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◎創作ノート<解説>
何かを無理にすると後でひずみが出たり、面倒なことになる。それは、何かや誰かを忘れる、記憶からなくす、ことにおいてもそう。無理に忘れようとするのではなく、自然に任せていたらいいと思います。過去にされたことでマイナスの気持ちがあるなら、あるなーとそれも認めて、無理に忘れようとしたり切り替えようとはせず、そのままでいる。ただその間、理性で考えてきちんと前進する行動をひとつずつでもしていることは必須だと思います。そうして、最善だと思う行動を積み重ねていたら、不思議なことに、忘れたくても思い出せない状態になっています^^ひどいことをした人、加害側が、たとえ何も罰が当たっていないようにみえても、必ずなんらかの責や結果を負うことになる。被害者が応戦することでそうなるのか、神様が手をくだすのか、まったく関係のない赤の他人も含めたすべての帳尻の合致でそうなるのか、は分からない。けど因果応報なので、そこはもう神様や世界におまかせしてたらいいのではないかと。摂理や道理が発動して相応の結果になる。心配したり悩む必要はない。いやな人の名前を聞いても、それ誰だっけ、としばらく思い出せないくらい、今ではもう素敵な・信じ合える・楽しい・ひどいことなどしない人達(これが通常なのですけど)、と親しくしている。そういう人達との縁を大切にする。自らをいためつけるような環境や境遇を抜け出し、自分の好きな人や好きなものに囲まれて生きる。仕事・趣味・創作などして、今に集中する。それが自然と切り替えることとなり、前進している。たちどまるしかない状態であってもいいので、無理に忘れようとしたり切り替えようとするより、気持ちの変化は自然にまかせ、理性で考えて実質的な行動のほうをする。それが、結果的に心的にも救われ、忘れていく近道だと思います。