ドラマの風景 -偏屈な人-

傷つけて雑に扱い終わるより やり取りして育てる関係
面倒で偏屈な人を良いという人はドラマの中だけかもね

「ドラマの風景 -偏屈な人-」

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◎創作ノート<解説>
先日見た過去のドラマの話。自他ともに認める偏屈な人である主人公の、へそ曲がりで素直じゃない言い方に、周囲は多々傷つけられつつ、関わってくれるまわりの人の理解や優しさのおかげで、誤解が解けていく。主人公が不器用なだけで本当は良い人、という前提があるからこそ+ドラマだからこそ、の世界^^ドラマの最終回は大団円ですが、現実だとこうはならないと思いますw不器用なだけで心は綺麗、すぐに通じなくても誠実に生きている、そういう主人公だからいいのであって、現実にはいないのと、関わった人達が最後に報われる展開がカタルシスになって良く、コメディ部分が面白いので最終回まで見られるというか。セリフの応酬から転がっていく展開、俳優さん達の演技、ともに良く、良作として評価されているのだと思います。面倒だったり偏屈な人が出てくるドラマ、けっこう多い気がしますが、ドラマだから良い結果になっている。現実にこういう人がいると、相手にする人自体少ないと思います。できるだけ素直に生きる。非があれば謝り、助けられれば感謝する。これがなければ人との関係を築くことは出来ないし、関われたとしても続かないと思います。いい年をした大人が、完全なる理解を相手にすべて委ねたり強要したりするのは、相手に負担を強いすぎている。相手に伝わるように、分かりやすい言葉を選んで発する。最初からできなくていいので、できないと諦めたり相手に丸投げするのではなく、努力をする。自分に都合の良い行動をしてくれることばかり期待せず、逃げず、自ら行動する。問題を一緒に解決する。それをしないのは怠慢だと思います。原因が照れや逃げ、不器用を言い訳にしたものであっても、何度も傷つけてくる、しかも故意に、というような人にかける時間やエネルギーはない。もったいない。故意はもってのほかですが過失であっても傷つけられたり、すごく雑に扱われた時、ここまではいいけどこれ以上は許容できないとか、ここまでは待つけどこれ以上は待たない、など、基準になる線や期限を設けるのが必要です。エネルギーも命も有限。人はいつまでも生きてはいない。自分の心や尊厳を守る、自分の時間やエネルギーを無駄遣いしない、これらは大事です。面倒で偏屈なことに加え、故意に傷つけてきたり不誠実だったりする人とは関わらないのが一番。偏屈な人を良いと思ったり、まわりの人との関わりを見るのは、現実でなくドラマの中だけで十分だと思います。。