こんなこと言うのは余裕がないから、と。違う、そちらに合わせてるだけ
そもそもの発端はなに、どちらから? 考えないで棚上げは罪
「余裕を持って主張 -絡まれるのは事故-」
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◎創作ノート<解説>
良識や人として、に反する原因や非がある場合は別ですが、こちらはなにもしていない、原因や非がない、にも関わらず、こちらにあてはまらない・筋の通らない・理不尽な攻撃をされたら、どうすればいいか。品がないし、こんなでまかせ信じる人はいないだろうと思うものの、善意の第三者が鵜呑みにして騙されたり、黙っていてエスカレートしていく一方なら(大抵こうなる)、やめてと意思表示し、きちんと主張せねばならない。事実を示し意思表示したら、余裕がないからこんなことを言うのだ、と斜め上の反応が返ってきた場合。冷静に考え、きちんと主張するために事実を示しているのであり、そもそも理不尽な攻撃をされなければ、こちらが事実を提示して主張をすることもなかった、という道理を分かっていない、と思ったらいい。実際そうだから。話が通じない、ということ。事実を示したのは、そちらのレベルに合わせてるだけで、といっても罵り合いではなく品が良いものですが(ただ、尊厳や大事な人を守るために切羽詰まった場面で言い合いになる場合があっても仕方ないと思います。そうでもしないと守るために本気で応戦する気概や姿勢が伝わらない時もあると思うから)、誹謗や中傷、攻撃する側の反応も、先述の言動同様、民度の低さを露呈している。相手にしていたらきりがない。意思表示するに至った発端はなにか、を考えてほしいところですが、こちらはなにもしていないのに攻撃してきたそちらの言動を棚に上げ、こちらの正当な意思表示にすら立腹し、さらなる攻撃の動機にするのは、罪の上塗り。理不尽な攻撃に対し、こちらが何かを言ったり相手になったりする時間やエネルギーはないし、もったいない。もちろん、悪質なことをしていてそれが露見した場合、まともな意見を見ない、聞き入れない、内省したり改善したりのよすがにしない、のはダメだと思います。自らを省みて改善するための助言は、精査は必要ですが、見て、聞いて、取り入れた方が良い。けどそうじゃなく、なにもしておらず、非がないのに理不尽な攻撃に合っている場合なら、見ないのが一番です。見るから心的にさらに大きな負担がかかり、心がこわれてしまうのかなと。気になる気持ちも分かるけど、見ることでの悪影響や、反論するにしても骨折り損のくたびれ儲けになることを考えても、見ないのはひとつの合理的な解決になると思います。そういう攻撃や理不尽に対し、心的負担だからやめてくださいとこちらが言ってやめるような側じゃない。存在をみつけられたり、タゲられ絡まれるのは事故。被害者=こちらのせいじゃないし、こちらに非はない。自分の何がいけなかったのかな等と考えたり、自分を責めてはいけない(加害側の思うつぼ)。逆恨みや悪意から、理不尽な攻撃以外にも、プライバシーの暴露やないことないことを言われるのはしんどくてつらい。近しい(かつでそうだった)から知り得た個人情報を、こちらの許可なしにさらされる。またはデマを敢えて個人情報だとして拡散したり。ひどいことだけど、意思表示し主張しても、変える気がなく、改善しない、話が通じない側を相手にしても疲れるので、見ないのが一番。物理的に近しい人達なら、一刻も早くはなれるのが一番。事故にあったと思って忘れた方が良い、それについて考える時間がもったいない、というのは友人の言葉。その通りだなと。少し面識がある・ないに関わらず、どんな人であれ、一方的に誹謗してくる側となど、関わりはしないし、見るに値しない、というより、見てなどやらない。これでいい。公私に渡りどんな場面でも、特定の相手から、相応の理由なく@攻撃側の我欲が理由で、または悪意により(両方ある場合もある)、不利益を被ったり理不尽な目に合わされていて、やられっぱなしでいるのはよくない(エスカレートするだけなので)。最初からスマートに冷静に出来なくてもいいから、きちんと意思表示をする。NOを示すのは必要。とはいえ、話は通じないか、それに近い状態がほとんどだと思います。自分の意志で見なくてすむものなら、わざわざ見ない。物理的にきっぱりはなれる。関わらない。これが最善です。なにもしていなくても、非が無くても、ひどい目に合う場合がある。それは事故。出会う人達すべてが良い人だと良いし苦労はないけど、残念ながらそうじゃないのが現実なので、被害にあったり、迷惑なことをされたら、即座に離れる。味方にしても敵にしても面倒な人ならフェイドアウトがいい。けど、切羽詰まっていたり、そうも言っていられない場合もあると思うので、突如切るように見えても前からいやだったのだから我慢せず、軋轢が生じる懸念があって実際生じても勇気を出して、しっかりことわる。どちらにしてもいつかは決別せねばならない時が来る。それが今か少し先かの違いです。少し先ならその分苦しみが続きます。きっぱりことわれないなら最低限自分からはもう誘わない。誘われてもことわることを何回か続けていくといいと思います。それで誘われなくなったら御の字、まだ誘ってくるようなら、逃げていても・渋々従っていても、いつかはことわらなければならない時が来ます。不満が大爆発して周囲を巻き込む、もしくは自分の心がこわれる、そうなる前にことわるのが最善だと思います。自分を大切にしてくれない人のために自分を犠牲にしない。自衛の意識を持って、汚いものに自ら首を突っ込まないでいたらいい。自分に原因や非がないにも関わらず、理不尽に絡まれた場合、それは事故なので、余裕を持って冷静に意思表示や主張をしたら、信頼できる人に直に話を聞いてもらい、心を回復させてほしいです。。