自分の判断 -まかせきりにしない-

間違った処置された時工夫して難局打破した自分褒めよ
間違いを認めたくなく責められた時も心で反論はする

「自分の判断 -まかせきりにしない-」

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◎創作ノート<解説>
自分や身内に起きたことで、自分達以外の・関わった人(専門家)の見誤りや判断ミスで事態が悪化した時、専門家がしたことだからと処置を鵜呑みにしたり、その人と連絡がつくまではと放置しておいたりするのではなく、相手より知識や経験がない自分でも、自分なりにこうしたほうがいいんじゃないかと、下手なりにも工夫して処置するのが大事だなと思いました。悪化や難局を傍観するのではなく、ベストを尽くす。もちろん状況やこれまでの経緯などから判断する必要がありますが、危険やアクシデント時の直感と行動は正しい場合が多いなと。大丈夫だと言われていても、自分が危険だと感じた場合はそのままにしておかない。今回も工夫して行動したところ奏功し、大きな難を逃れました。ただ、工夫したやり方が雑だったと言われ、謝った後で思ったのは、私は専門家ではなく、道具もなく、訊くこともできない状況で出来る限りやった。それで最大の難は逃れている。最初に見誤り、間違った処置を施したことが原因でかなり悪化したのは相手の行動によるもの。相手に責がある。それについての謝罪や改めがないことに加えてこちらを責めるのは、筋違いではないか、と咄嗟に謝った後で考えて思いました。すぐその場で反論出来たらよかったのですが。。相手は、ヤバい、ミスったと思いつつ、謝れなかったのかもしれない。であるならばこちらは、筋としてはこうだから責められる筋合いはなく、素人ながら頑張ってよく難局を逃れた、という感慨や相手への反論や怒りの感情を持っていていい、と思います。その場の行動として反論してもいい。すぐ思い至らなくて出来なかったのであれば、心の中ででも。咄嗟に反論できなかった場合とは別に、出来ない場合があり、それはこちらに非があるからではなく、相手に非があるのは大前提として、厳しいことを言うのに気兼ねするという、これまた相手につけこまれそうな性質からの場合。私は、何かあった時、こちらがわるいのだろうかとつい考えてしまったり自分を責めてしまったりするところがあるのですが、相手に非がある場合・相手がそれを認めたがらず他責や他罰思考の人だった場合、なめられてますます責められる。これまで過去に何度もそうされた経験があります。なので、なるべく同じことにならないよう、勇気を出し、筋違いや理不尽な責めに対しては、それを冷静に伝えるようにしています。話が通じない相手なら距離をとる。今回は、責められて、???と思いつつ謝った後で、↑のような考察をしたので、その場で反論できませんでしたが、処置が雑ということよりそもそもの話で、相手に非がある点について、きちんと伝えた方がよかったと思っています。悲しくて残念だけど、理不尽な責めを受けたり、そうされて怒りが生まれることもあるかと。その際、関係ない人にあたるのではなく(あたる人が多いのと、あたられることが結構あったのでそういうのはほんとやめてほしいなと)、関係ない誰かを道具にしたりせず、自分なりの方法で、自分で昇華してクリアにしていく。負の連鎖を断ち切る。関係ない人やあたりやすい人にあたっても、なんにもならないどころか、そうされた方はいい迷惑です。やはり、自分の頭で考える、のが必要。まかせきりにしない。おかしいなという、たとえ専門外であっても自分の直感を無視しない。このままだと悪化するか取り返しのつかないことになったらいけないので、今のベストを尽くそう、と自分で考える。工夫して行動する。それが大事だと改めて思いました。