あの日の朝 -父と祖母-

縁側に寝ていた夏の朝を経て今は名簿に連なっている
晴天の下で洗濯物を干し、爆風の中、子を守りぬく

「あの日の朝 -父と祖母-」

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◎創作ノート<解説>
今年の初めに亡くなった父は赤ちゃんの頃に被爆しているので、原爆を経験して亡くなった人間のひとりです。祖母は当日の朝、洗濯物を干していたら突然、後は無我夢中だったと話していました。広島の人にとって、今日は忘れ得ぬ日であり、忘れてはいけない日。約20年ほど前に関東へ越してきてまず驚いたのは、今日がいつもと変わらない(ようにみえる)一日だったということ。広島なら、朝はその時刻にサイレンが鳴り、黙祷を捧げる。どのテレビ局でも式典が放映される。関東ではそれらがないのか、という感慨と現実を、胸の痛みとともに知る・感じたものです。当然、関心を持ってテレビやニュースをみていてくれるかたなら別ですが、関心以前に知らない人もいるのかもしれないなと。こういう現実が過去にあったということ、それに対し、自分は何を思い、どう生きていくのか、を各人が考えたり祈ったりする時間、日になればいいなと願っています。