気のせいか気のせいじゃなく故意にだと気づいた時に次の展開
すぐバレるうそやイジメを使っても意のままになる訳じゃないから
「性格の良し悪し -誠実と知性-」
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◎創作ノート<解説>
誰かから向けられた悪意や悪意からの行動に、すぐ気づける場合もあれば、時を経て気づく場合もある。あまりにつらすぎて、悪意から・故意にそうされたと認めたくなく、気のせいだ・思い込みかも、と耐えようとしても、どう考えても悪意で偶然ではなく故意だ、と分かった時にどうするか。こちらにそうしてくる側を変えようとするのではなく、距離を取る。はなれて関わらない。自分の中で区切る。見限る。そして次の展開に進む。居る世界を変える。それが最善でとても大事だと思います。相手を変えるのって至難の業だし、変えようとして変わるものじゃない。そんな時間もエネルギーももったいない。次、次、です。そして、バレないと思ってか、なめているのか分かりませんが、すぐバレるうそをついたり、まわりに分からないように?イジメたりしても、そういう手段を使う=理不尽かつ汚く溜飲を下げたり(その道具にされたほうはたまらない)、嫉妬から貶めようとしても、筋の通らない考えや卑怯な方法がまかり通ることはなく(通ったように見えてもその時だけ・後から帳尻が合う)、意のままにはならない。こういう節理というか道理が理解できなくてするのか、直情的すぎるのか、性格が良くないのか、なにが原因か分かりませんが、ただ思うのは、誠実さって知性と同義なんじゃないかなーということです。お勉強が出来る出来ないではなく、人としての聡明さ、という意味で。性格の良し悪しは生まれつきだと私は思っていて、自らの未熟さや至らなさに気づいて謙虚でいるのも大事だし、それプラス、知性があると、誠実に生きるようになる。それが最善で誰にとっても得なのだと、説明されなくても分かるはずだから。行動の動機が、悪意や逆恨みや嫉妬だった場合、性格がどうか、もだし、知の有無もさらけ出すことになるのかなと思いました。自分を良く見せる・言う必要もなく、そのままでいい。そのままの自分が性格が悪く、悪意から行動するのであれば、それを自認して(開き直るのでなく)生きていればいいと思います。人に誠実さを求めるなら自らがそうあるべし、と意識して生きないといけないし、高望みや逆恨みで悪意や故意から人としてない言動をしている側とは距離を取って生きる。それを見分ける、同調しない、のも大事だなと思います。自他の幸せのために、誠実と知性を求めていきたいです^^