ジュースを飲んで -良い塩梅-

赤紫蘇のジュースでさっぱり流した 汗とストレス わだかまりなど
氷ごとマドラーで混ぜ馴染ませる 人間不信 希望と未来

「ジュースを飲んで -良い塩梅-」

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◎創作ノート<解説>
人は多面体の生き物だけど、誠実さという芯があれば大丈夫。という私の考えを以前このブログで書きました。それを自分が貫いて生きていても、そういう人ばかりじゃなく、そうじゃない人にも沢山出会う。私の場合、堪忍袋の緒が切れるまでは寛大にけっこう辛抱強くいられるほうだと思います。けど、もう辛抱はできないなと思ったら、はなれます。そこやそこを構成する人を変えようとはしない。自分がそこにいない選択をする。いることでさらに私が傷ついたり、すり減ったり、病みそうだから。そうなったら私にもまわりにも全体にとって、よくないので。実際、見限った後でも多面体の中の良い面(良く見える面)が見えることもありますが、それは見限ったからこそ、はなれるからこそ良く見える場合だったり、向こうの機嫌が良いか気まぐれ、向こうにメリットがある場合だったりで、芯ではないし、真実でもない。乱反射してる一部です。でも、もうダメだなー関わることはできないなと分かっていて、その決断が覆らなくても、まー乱反射したままでいっか、一瞬のきらめきの余韻を残してフェイドアウトしたらいっか、と思ったりもします。猛暑日の喫茶店で、厄落としや厄除けになるとも聞いたことがある赤紫蘇のジュースを飲んだ時、わだかまりも一緒に流れた気がしたんです^^カラコロとマドラーでジュースを混ぜた時、どこに行っても民度が低かったり悪意のある人はいるかも、いるだろうなという気持ちと、どこに行っても人の優しさはあるし、気の合う・良い人はいるに違いない、という気持ちが一緒になって、なんだか良い意味で、どうでもよくなる感覚がありました。良い塩梅に、なるようになる、と。そしてそう思えたのも、自分を大切にする意味で、前進するための決断と行動をしたからこそで。幸せになるために生きている。それに必要な行動ができた時、自分も自分の未来をも、もっと好きになれるのだと思います^^