母になる その子にとって母親の役割でいて 愛していたら
娘とは 血縁や性別じゃなく 育て 愛してくれた人の子
「映画の風景 -母と娘-」
—-
◎創作ノート<解説>*ネタバレを含みます
通常というか、多くは、概念として、母と娘というと、血縁があって養い育ててくれる女性が母で、それを受ける女性が娘、です。が、まぎれもなく母と娘だけど、この概念にあてはまらない関係性もある。親戚の女の子を、主人公が養い、育て、愛する。そのふたりの関係性を描いた映画「ミッドナイトスワン(2020)」。監督のオリジナル脚本で、トランスジェンダーの凪沙(なぎさ)が主人公です。草彅くんが演じて、日本アカデミー賞最優秀主演男優賞を受賞した作品(最優秀作品賞も受賞)。凪沙のもともと持っていた母性が、一果と接することで花開き、大きくなっていく。その様子を、内面は女性の、体もそうしていこうとする凪沙の心情を体現することで観客に示してくれた草彅くんの演技が圧巻です。違和感がなく、実際に凪沙がいる。生きている。その圧倒的な存在感は、草彅くんが凪沙を生きてくれたからだと思います。途中、一果を養う費用を稼ごうと男性になって働く場面が出てきます。髪も短くして男性の制服を着ていても、心が女性の凪沙、女性にしか見えない。すごいと思いました。ただこの作品に出てくる広島弁が少し残念というか、広島の人間はそういう風に言わないと思う言葉遣いだったのですが、これは役者さんのせいじゃない、ので触れない・脇に置いておくとして、地方から上京してきたトランスジェンダーの女性が直面する問題、厄介なこと、差別や偏見なども全部ではないと思いますが、描かれていて胸が痛くなりました。究極、人間は男女を超えた生物で、男女を区別するなら本人の認知のもと、プラスの意味でする場合においてのみ有効で、心の性別があるならそれに基づいた存在であると思います。体が男性のままでも心が女性で、母親の役割をしてくれる人にとってその人は娘。母親の役割をする人が女性である必要はない。養い、育て、守り、愛してくれる人が親。性別も血縁も関係ない。これは体が男女逆でも言えること。そして、人としてないことをしない、という大前提を大切にして生きる、のが大事です。男性の体と心で、女性の体と心で、異性愛者であっても、どんな職業でも@社会的に地位が高かったり崇高だとされる職業で仕事はつつがなく進めていたとしても、人としてないことをしていたら悪人で、だめです。どんなに糊塗したり、詭弁を弄したり、いい人にみせようとしても。通用しないし、だめ。言い換えると、体が男性で心が女性で、体が女性で心が男性で、同性愛者で、どんな職業に就いていようと、人としてある生き方をしている人は、善人です。まっとうでまともです。人としてないことをしている、普通のふりをした、善人ぶった、異性愛者で体と心の性別が同じ人よりも。凪沙は善人です。まっとうでまともです。声高に言わずともそうで、一果の母。この作品は、ひとりの強く優しい母が愛しい娘を育てる物語です。