限りある命の時間 大切に みてなどやらないスタンスで、ね
自爆してカモフラあてつけされたなら みない 知らない 関わらない、で
「自分の命=時間を大切に -なにをみるのか厳選する-」
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◎創作ノート<解説>
誰かに何かを伝える際、直接伝える、目の前の様子で分かる、のであればいいのですが、ネット、SNSや暗喩で伝えるのって、分かりにくい。好意を伝えたいのであればそれは不親切で面倒なので、好意を持った人に対する態度じゃないなと思います。相手にそんな心的な負担や面倒をかけてどうする・好意を持っているにしては伝え方が自己中だなと。本当に好きなのか疑問だし、それは好意でも愛でもなく、一方的に甘えたり依存したりしたいだけ、執着なのだと思います。依存心の表れだったり、親を相手に投影し、親から得られなかった愛を親の代わりに相手から得ようとする行為だったり。小さなこどもや、純粋に愛を乞うのであれば、同情するしまだ分かる部分もあるのですが、いい年をした大人がそんなことをして(傷つけたり失礼なことをするのは)、みっともないし、迷惑だなと思います。まどろっこしいのと、相手からだけの歩み寄りや相手の察知能力をあてにしているという点でも。自分ははっきりとは伝えていないし、相手がその気になったり近づいてきても、喜んで受け入れるだけの度量や素直さがない=ただ怖気づいている・勇気がないだけなのに自分はそんなつもりはないと言い逃れる余地を残している、のかなと思います。卑怯で自己中だなと。振られるのが怖いのは分かるし@誰でもそうなので、直接言わずに暗喩で何度も好意を示して相手からの近づきを待っていながら、いざ近づいたら逃げるという卑怯な逃げ道を残しているような人に、近づく気持ちも義理もない。そんな気持ちも行動も、するのがもったいない。依存心ではなく、自尊心があるならそう思うのが通常かなと。私は純粋な気持ちが尊いと思うし、逃げ道を用意しない誠実さ、潔さが好きです。器用でなくてもいいし、不器用でいい。それに心惹かれる。汚かったり卑怯だったり逃げ道を残して他力本願でいるような人に、こちらが捧げるものなんてないです。無私の愛を捧げるのはいいことですが、相手を選ばないととんでもないことになる。それを学んだので、もう同じ轍は踏まないです。飛んで火にいる夏の虫よろしく、投網だったり罠だったりを仕掛けて待っていて、いざという時、意気地なしだったり自信がなかったりというその人自身の問題で行動できてないだけなのに、そのつもりはなかった、と逃げ道を用意している姑息さがいやだなと。振られそうだからと先に振る人がいると聞きますが、見限られたのはそちらで、形ばかり先に振った方が優位に立てている訳じゃない。そういうのと同じ。こういう卑怯な人や、反動形成のある人、誹謗や攻撃する人達の発信は、見ないです。誹謗中傷や攻撃する側は、なにもしていなくても・非も落ち度もなくても、してきます。一方的な感情や向こうにだけ都合の良い理由で。きちんと法的な措置を取ったり、黙っていないで応戦するのもいいと思うのですが、加害側が最もされたくないことで合理的かつ効果のある方法@被害者側が消耗しない方法、は、被害側が加害側の発信を見ないこと、です。みれば心が汚れてしまったり、しんどくなったり、ストレスを感じるのは不可避な訳で、加害側はそれが目的でしているのだから@たんに対象は誰でもよく鬱憤晴らしかもしれないけどそれでも、まずは「みない」ことを徹底しないといけない。どんなに心が強いと自負している人でも、四六時中、個人や大勢の人間が、自分についてマイナスのことを発信しているのを見ると、みるだけで心が弱り、意識してなくてもストレスがたまる。みるのは損だなと思うのです。つい見てしまうという人もいますが、それは時間とエネルギーが余分にあって、刺激を求めてしまっているから。刺激っていいものならいいですが、悪い刺激もあり、暇だと悪い刺激でも求めてしまう傾向があるのと、また何かひどいことを書かれているのではないかと心配する気持ちもありつつ、予想通りのことが起きてるのを確かめたいという気持ちからだったりするので。どちらにしても、加害側の発信をみるのは被害側にとっていいことはありません。直接言ってくるものであれば対処ができますが、そうじゃなく、ネット上で理不尽な攻撃をされているのであれば、みない、という自衛手段を講じるのが最適です。いつまでも生きている訳ではなく、命は有限で、時間も限られています。エネルギーも。自分の命と同義の、時間とエネルギーを、自分を理不尽に攻撃してくる輩の発信をみることに充てていいのか。デメリットしかなく、敵を喜ばせる行為だというのは、冷静に考えると分かると思います。気になるのも分かるし、そんなことされるいわれはないのになぜ被害側が苦しまねばならないのかという憤りも分かります。でもそんなことを言って分かってくれるような相手なら、はなからそんな卑怯で汚いことはしないので、話が通じないと思ったほうがいいです。そういう側は敵。なので、こう考えて実行する。みない、という行動を。私の貴重な時間とエネルギーを、敵に使うのなんてもったいない。敵の発信など、みてなどやらないスタンスでいるのが大事。
あと、聞いた話+会った人で、誰かに好意を持った人全員が全員ではないのと少数だけど一定数こういう人がいる・実際の話で困ったものだと思ったことを書くと、反動形成する、モテる人に横恋慕や片思いした・こじらせた人がやりがちな行動=自分には別に相手がいると示す(そのかたには別に恋人がいたり好きではない人を利用したり)・どうせ脈がないか振られるのだから最初からあなたのことなど好きじゃない好みじゃないと示す・別の人と仲良さそうなのを見せつければシットして追いかけてきてくれるんじゃないかという狙いからそれを示す、などをしてくることがある。未熟で自己中なのと、いい年してなにしてるのかなと。普通にできないのかと思います。仕事関係であれば普通にしてくれなければ仕事がやりにくいし、私的な場面でも、いつこちらが好意があると言ったのか?と。言ってない。あればあったで両想いでもつきあう自信がなくて避けるし、ないと言えばさみしさからすねて傷つけてくる、という。どちらにしろ迷惑。普通にできないなら、余計なことを何もしないでいればいいだけ。好意もその裏返しのあれこれも、傷つけたり失礼なことをしたりするのであれば、相手にとっては迷惑だし、要らないものです。ほんとは好意でそれをうまく伝えられないのだとしても、やりようがあるというか。マイナスで面倒で迷惑なことをされるくらいなら、なおさら要らないです。普通でいい。フラットに人として最低限の配慮や思い遣りを持ってお互いやり取りできたらいいだけなので。恋愛関係になろうと思っていない。人として快適な関わりができたらいいなというだけ。素敵だなと好意を持ったなら、相手に恋人や配偶者がいるかどうかをまず確かめる。いるならもちろんそれ以上深入りしようとはせず、ただその存在を愛でる。友人知人として関われる余地を残す。それは圧をかけたり、隙あらばとアピったりするためじゃなく、ただその存在を愛でるため、です。純粋なファンであれば、その存在ごと、恋人や配偶者がいるのも、認めて受け入れられるはずだし、関われること自体に感謝の気持ちを持てるはずです。そうじゃないならまだ、邪念や下心があるということなので、近づかないほうがいい。相手のためであり、ひいては自分のためでもある。これを理性で理解できないなら、なおさら近づかないほうがいいです。相手に恋人や配偶者がいるかどうかを確かめる勇気はないし、もしいなくてもアプローチする勇気もないし、万が一両想いでつき合えたとしてもこんな自分はすぐ飽きられたり見限られたりしそうで自信がない、から、恋人や配偶者がいると知ってひとりでショックを受けたりいつ振られたりしてもいいように、最初から好意など持っていないと示したい、何ならお前なんて好みじゃないと示したいというみっともなくて未熟で自己中な理由から、本当は好きで素敵だと思っている相手のことを、くさしてみたり、好きじゃないと示してみたりしても、バレている。知らない・バレてないと思っているのは本人だけ。かっこわるいだけでなく、相手に失礼で迷惑なので。これに関しても直接会ってどうこうではないネットなどの発信であれば、ひどいことをしてくる側の発信もそうですが、「みない」で解決です。みてくれているかもという期待や、みられてるという前提でそういうことをしているので。自分はみてるからそう思うのだと思います。みないと言ったら本当にみない人の気持ちや行動を理解できない。自分以外の人のことも自分基準で考えてしまうからそうなるのかなと。そんなことしてくる人や発信には興味がなく、面倒だという気持ちを示す意味でも、こちらに非がないにも関わらず失礼なことをしてるのを目にしてストレスを受けないためにも、みない。これが最善です。なにをみるのか、自分という大切な存在に自分はなにをみせるのか。それを理性で判断し、厳選すること。惰性で、悪い刺激を求めて、敵や面倒な人の発信をみないことです。刺激が欲しいなら、仕事で求めたらいい。仕事でならいくらでも良い刺激があります^^刺激を欲しいと思うほどの暇を、好きなことやこれからの目標に向けて精進する時間に充てればいいと思います。