不満持つ人は 自宅や配偶者 子供がいても 持つのだろうな
嫁いだら子供はまだか?生まれても二人目まだか?きりがないです
「きりがない -今が十分幸せ-」
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◎創作ノート<解説>
話を聞いて思ったことです。独身の人で結婚を望んでいる人にとっては既婚であることが、借家住まいで持ち家を欲しがっている人は自分の家を持ってる人が、子供をがいたらいいなと思っている人は親になってる人が、うらやましい。その境遇にいない、持っていない自分に不満がある。けど、独身には独身の良さ、借家には借家の良さがあり、今の自分で、境遇で、十分幸せなんですよね。まじで。気休めとかじゃなく。持ち家があり配偶者がいて@特に揉めてる訳じゃなく言うことも聞いてくれるw、子供がいても@ぐれたりもしてなくいい子w、それでも、残念なことに不満が多い・それを人を使って発散する人がいる。持ってない人からしたら、なにが不満なんだ?wと思いますけど、その人にとっては理想郷があったり、まだまだ不満がある。人知れずの何か大きな問題があるのかもしれなくてそれは分からないながら、それでも、今が十分幸せだと感謝できなければ、なにを持っていても、誰がいてくれても、不満だらけなのだと思います。そして不満だらけでもいいのですが、それをまわりにぶつけると困るし迷惑なので、気づいてほしいなーと思います。不満だらけの今だって十分すぎるほど幸せなのだと。無理かな。結婚しても、当たり前ですが終わりじゃなく、子供はまだ?と訊かれ、ひとり生まれても、二人目はまだ?と訊かれる。悪意がないのは分かっているけど、悪意がなければいいのか、ゆるさなければならないのか。悪意がなくても言われた方が不快や負担になったらそれは不適切発言であり、無理してゆるす必要はない。ただ、そういう人にそんなこと言わない人になってもらうことはできないので、なるべく関わらないようにする。距離を取る。日々接しなければいけない人なら、あーなんか言ってるなーと、あえての心ここにあらず状態というか、まともにぐさっと聞かない@とはいえ言われれば不快なのは変わらないのでなるべく対面しないほうがいいとは思います。不満って持ち出したらきりがないので、今がすでに十分幸せなのだと気づき、感謝する。目が覚めて起き上がり、窓を開けて、新鮮な空気を吸う。これですら、元気でないとできないこと。病に臥せったり、体が思うにまかせない状態を経験していると、この、当たり前にみえることすら、奇跡だと分かる。その経験がないなら、想像するだけでもいいので、今が奇跡で十分幸せと心から感じられる視点や感性を持っていると、不満に目を向ける暇もなくなる。そう思います^^