エイプリルフール -うそはつかない-

うそつきと言われたことはないけれど言いたい時はあった気がする
言うのならそれをほんとにすればいい実現すればうそつきじゃない

「エイプリルフール -うそはつかない-」

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◎創作ノート<解説>
もともとエイプリルフールであろうとなかろうと、うそをつくのがいやだしつかないので、息するようにうそをつく人の気持ちが分からないのと、嫌悪感があります。作り話をさももっともそうに語っている人は、うそを語るうちにほんとであるかのように思い込むのかな。でもそれはうそだから。にせものであり、不誠実です。バレた時のことを考えない、そもそも不誠実で不誠実が染みついているから、うそつきでいられる。うそつきと呼ばれたことはないけど、そう言いたくなることはけっこうあったなーと、これまでを振り返って思います。逆恨みや一方的な感情でそういうことを言ってくる人は論外ですが、誠実に生きていれば同じような人と縁ができる。ので大丈夫です。うそをついている人が、うそをついたまま・おいしい思いをしている、ってことはない。私はみたことがないので、やはりなんらかの因果応報はある。今生きている間、本人にあるのか、はたまた来世なのか、身内に起きるのか、という時間差・本人か身内にか、の違いはあるとしても。
次のは、予祝狙いの勘違い発言のことじゃなく、自分の目標を自らや神様に宣言することです。断言すればそうなる、みたいなスピっぽい話も、言えばそうなるならみんななってるわ、で、相手があることの場合、いくら予祝をあてこんで断言しようと、そうはならない。自分だけの・自分が頑張りさえすれば達成できる何かについて、誰知らずとも自分に、もしくは神様やご先祖様に、こうこうしますのでよろしくお願いします、という決意表明をする。そしてそれが実現すればうそではなくなる。そういうのはいいのではないかと思います^^