自分から良かれと進んでしたことも 相手の利なら返る いつかは
しつこくはしないほうがと言われるのされた身になれ察しろの意味
「尽くす捧げる? -誰のための行動か-」
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◎創作ノート<解説>
よく相手のためにと思ってする行動の、見返りを求める気持ちの有無を問われることがあります。もちろん見返りを求めないほうがいいし、見返りを求めてする行動は自己満で、それが自らを好いて欲しいという目的からしたものであれば自己中でしかないのですが、私は、誰のための・誰に利する行動か、に注目するのが筋でありこの場合必要で正しいと思っています。相手に良かれと思って頼まれてないのに自らがした行動が、確実に相手の利になることであれば、時間差があっても、したほうになんらかの利が返る。とも私は思っています。返してくれるのがその相手からではなくても。相手ではなく自分に何かが返るためにそうしたのだろう・それは自己満ではないかという意地悪な人がいるかもしれないので書くと、「本当に」相手に利すること、をするのは愛からでなければできず、愛から行動する時、自己満や自己中の状態ではいられない。これが真実です。だから、自己満でも自己中でもない。百歩譲って自己満だとしてもそれはその時そうみえるだけで、必ず、数日後、数年後、死の直前に、相手は気づくと思います。それが愛からであったと。そして、相手にそうしたほうは、気づかれなくてもいいと思ってしているので、気づかれればもちろん嬉しいけど気づかれなくてもいい・その行動をした時点で完結、解決しているのです。今書いたことの意味が分かり、実践しているから実感し、共感してくれる人は、もうすでに愛からの行動を誰かにしている人^^私はそのような人が好きだし共感します。きっと苦しいこともあったと思うし、それを苦しみと思わないでいる努力もしただろうから。苦しさやいい人であるとアピるようなことはせず@自意識や美意識からも、自らの内面で消化・解決しながら、愛からの行動をして、それが当然であるかのように自らとらえて、生きている。そういう人が私は好きだし、尊敬します✨必ず、愛が返ってくると思います。その相手からかもしれないし、そうじゃないかもしれない。けど必ず。私が神様ならそうする。人間だけど神様みたいな人は世の中にいて、世の中の総意も神様みたいな考えだったりそれに沿う事柄が起きたりする。ので、世の中捨てたもんじゃないと思ってます。相手の「本当の」利であれば返ります。愛が^^
しつこくしないほうがいいと言われているのは、相手にとって迷惑になるからで、本当に相手が好きで相手の存在自体を愛している視点やあり方であれば、しつこくはしないし、そういう気持ちにもならないものです。執着しているから、しつこくなる。しつこくしてしまう。執着は愛ではない。面倒で厄介なもの。自尊心と客観性があれば、脈なしの相手にしつこくする選択肢がなくなる。そして、ひどいことをされたら、好きな気持ちがなくなったり、熱が冷める。これが、まともで真っ当で正常な心の働き。ではなぜ、ひどいことをされても好きなままでいるかというと、いつかは変わってくれる、気をひけるかも・好きになってくれるかもという気持ちだけでなく、そうなったあかつきには自分を救ってくれるとか自分の思い通りになってくれるかもという依存心からの期待がそこにあるから。まれに、傷つける方法でしか気持ちを伝える術を知らない相手の不器用さを察知し、成長する可能性を感じたり、見捨てられない気持ちから、好きというか寄り添ったり守りたい気持ちで好意を持ち続ける場合もありますが、そういう人は少なく、言うまでもなく、多くの異性に求められモテてます。ただこういう人はすでに特定の相手がいるのが常だし、いなくても競争が激しいのでもたついてる暇はない。アプローチしたり関係性を維持するほうにエネルギーを使った方がいい。こういう存在の人は別として@しつこくもしないし相手が近づいてきた時のみ行動するので、しつこくしてくる人というのは大抵我欲が強く、相手をみておらず執着している。この執着が曲者。執着心って、誰もが持つ可能性があり、実際持つ人も多いのですが、これも心が汚い・綺麗な人で行動に違いが出てくるのと、学習能力がある人は、依存や執着心に気づき、それらを持たないでいられる工夫や努力をしているものです。持つのがいけないのではなく、持ったとして、どうあるか=行動するかしないか、です。心が汚く、執着心を持ったままで、行動した場合どうなるか。相手に心的負担とストレスを与え、迷惑をかける。かまってちゃんや、さみしさから好きでもない異性と付き合うような人は、しつこくされる=かまってくれた、と、自己中な見返り目的での甘言を鵜呑みにしたり、流されて搾取されたりするのかもしれませんが、しつこくされるのって、その時に分からなくても後でいやになる時がくる。なので、しつこくされ、それがいやだと拒否できない時に考えてみるといいのが、なぜこんなにしつこく働きかけてくるのか、です。いやなのだから拒否できれば、誰にとっても@しつこくしてくる側にとっても、一番良い。のですが、できない場合、なぜできないのか@角が立つから。向こうはなぜこんなにしつこく働きかけてくるのか@自尊心があり自立していればこうはならないという事実からも依存心で執着し自己中な期待を持っているから。角が立つことを気にするのは、強盗犯に拒絶したら強盗犯に悪く思われる・強盗犯の仲間にも悪く思われる、と言ってるのと同じで、そんな側に悪く思われてもいい・というか悪いのは向こうです。冷静に考えると分かるはず。そして、なぜしつこくしてくるのか、も、愛があれば必要な時に適切な距離感で接してくれるのでしつこくはしない=大丈夫、しつこく=四六時中や頻繁に好意を伝えてくる・アピる場合、その本人自身のことしか考えてないからそうするのであり、こちら@相手のことはまったく頭にないから。自分が未熟すぎたり依存体質だとこれが分からず見抜けず、かまってくれたとかにせものの好意@執着心からのアピり、を受け取ろうとしてしまうかもしれませんが、後から気づく。これじゃない、これは愛じゃないのだ、と。強制や窮屈さ、しんどさを感じることで気づいたり、そもそも好きじゃないのもあって、後悔する。しつこくしてくるほうは、しつこくされた経験がないから分からない部分があるのかもしれません。でも、好きでもない相手からしつこくされるのはかなりの心的負担であり、迷惑です。度を越せば恐怖も感じる。経験がなくても想像で理解し、察する。それで、しつこく行動しない。理性で判断し、思い遣り、行動しない選択ができる。そういう人が結果的に求められ、好かれる。これが事実だと思います。ただ、これも今書いてきた通りで当然なのと、尽くしてきた捧げてきたというのも、誰のための行動かが主眼であり、大事です。それが相手の本当の利のためであれば、報われるし返ってくる。自分のため、自己中な動機からであればやっぱりダメで、それ相応のマイナスの報いが返ってくるのが道理で、現実、真実なのだと思います。