もめごとや争いごとが苦手でも 蹂躙されたら 応戦一択
スルーして解決するならそれでいいしつこく邪魔されるなら応戦
「応戦して守る -幸せでいる義務と権利-」
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◎創作ノート<解説>
もめごとや争いがいやで苦手という人、いると思います。私もだし、多くの人、誰でもそうだと思うのです。もめたくないし、争いたくない。できるだけ穏便に、平和に、仲良く、適度な距離間で、人と関わっていきたい。それに越したことはない。けどなぜ、もめたり、争いが生まれるのかと言ったらそれは、自らの欲から攻撃する側がいるからであり、それに応戦しなければならない。自分を、自分の大切な人を、尊厳を守るために。それらをおびやかす、干渉してずかずかと土足で入り込んで蹂躙する人が現れたら、守るために戦わなければならない。なにも異を唱えないでいたり、黙っていたり、あろうことか笑顔だったり(内心とは裏腹の表情でひきつっていたとしても)迎合などしていたら、どんどんひどい目に合ってしまう。だから戦わなければならない。応戦する必要があるのです。大切なもの・人を守るために。応戦って、私も苦手で、多くの人と同じように、できたらしたくないものだし、しなくていいならそれに越したことはない。でも、ひどいこと、悪質なことをされたら、苦手だとか言っていられないので、応戦しなければならない。しないといけないからする、という行動です。戦争をしたくなくても、勝手に仕掛けられる場合もあり、そのままでいたら、命まで取られる。だから戦うのです。戦わないという選択肢がない。なにをされてもスルーで解決するならスルーしてたらいいと思います。けど、スルーしてもぐいぐい目の前に来られたり、積極的にしつこくあれこれ邪魔してくるなら、やはりスルーという消極的な拒絶では通じないので、これも応戦する必要がある。自分や自分の大切な人が、居心地良く幸せにいることに、なんの苦労も戦いもないのがいい、それが理想です。が、それを脅かしたり蹂躙したり邪魔してくる輩がいたら、戦わねばならず、そういう苦労もしなければならない。生まれてきたからには幸せでいる権利と義務がある。そのための義務としての応戦であり、応戦は権利でもある。戦う権利がないかのように、戦う義務を放棄して、敵にむざむざとやられる。これでは、自分も自分の大切な人も幸せではいられない。必要な時に戦う。これができないと、自分も大切な人も守れないし、守れなければ、悲惨でしんどい人生になるばかり。平和でいたい、そうありたいとひとりで言っていても、解決にはならない。自分以外の人がそうじゃなければ、もめごとや争いがいやだ・平和でいたい、と思ったり言ってるだけではだめなのです。必要な時に必要な行動をできない臆病風や逃げで平和主義を掲げるのではなく、平和でいたいなら、理不尽な攻撃や蹂躙には応戦一択。自らが戦う姿勢と行動が大事です。いい年をして誰かに平和のための行動・応戦をまかせきりにしてはいけない。自立した大人であれば、自分も自分の大切な人も守る気概を持って行動できるはず。応戦あるのみといった状況で、及び腰や人任せではいけない。頭を使い、気概を持って、幸せでいる義務と権利から、応戦してほしいです。私と一緒に生きる人には^^