期間限定 -寿命を使って-

リミットがあるのは寿命があるからで 食べ物 命 適齢期もそう
気づいたら 困ったときに助けられ それがつまりは 大切な人

「期間限定 -寿命を使って-」

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◎創作ノート<解説>
どれだけでも時間があり、いつまででも待つことができるなら、いつかは望む状態になる、その時行動すればいい、のかもしれません。が、人の命は有限で、保有する時間も決まっています。それが寿命。誰もが期間限定でこの世にやってきているのです^^なにかを待っている状態であっても、時は経過し、立ち止まることなく流れていきます。相手に主導権や決定権を委ねたり丸投げするのではなく、進展しようとしまいと、自分はいつまでなら待てるのか、いついつどうなっていたいのか、これを自分で決めておく、のが大事だと思います。数年待っていてどうにもならなかった、無駄だった、それならあの時きっぱり決断しておけばよかった、という感想を抱いたとしても、時すでに遅しで、取り返しはつかないし、それも自分のせいです。相手があることであっても、そうしたのは自分だから。なにかを待ったり、委ねたりするなら期間限定。それ以降は、自分の寿命を大切にして、決断して進む。相手を責めたりなじったりしないでいられるなら、待っていてもいい。というか、責めたりなじったりしない人は、待っている間になんらかの働きかけが外部からあり(恋愛なら別の人に好意を寄せられたり求婚されたりして)、進展があってプラスの展開になっていると思います。権利もないのに、一方的に執着していながら、好かれないことを責めたりなじったりする人は、なにも働きかけがないから待つしかない。そしてそれは、相手のせいではない。そういう人を好きになれないことも、無為に時だけが経過したことも。執着と依存心から、勝手に期待して待っていても、それは自己責任であり、脈がないからほかに目を向けるとか、恋愛至上主義で入れ込みまくるのは愚だと気づくとか、できなかった本人の問題です。食べ物も旬や賞味期限があり、出産は適齢期、年齢がある。それも寿命があるからこそ。命、時間は有限です。そして、さみしそうだったり、弱っていたり、ピンチそうに見える時につけこんで恩を売ったり、隙間に入り込んで本命の座を奪おうとあれこれする姑息な人や言動ではなく、本当に困った時に心的にでも物理的にでも近づいて思い遣りから最善の行動をしてくれる、それが大切な人であり、自分にとって必要な人です。自らの寿命を使って、なんらかの愛の行動を自分のためにしてくれる人。その人が一緒に生きていくべき人なのだと思います。気づかなかったということもあるかもしれませんが、気づいたなら、その人を大切にする、恩返しをする。これも、幸せに生きる・生きている意味だなーと思うのです^^