知ったなら知らないふりは出来なくて義を見てせざるは勇無きなりと
差し出してあげただけだと言えるなら 声も情けも かけていいのだ
「義を見てせざるは勇無きなり -しすぎない-」
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◎創作ノート<解説>
しすぎるよりしすぎないほうがいい。これは、するよりしないほうがいいという意味ではなく、過度なのがだめなのと、同じ過度でもするほうの過度はよくない・危険性が高い、という意味です。人との関わりの基本だと私は思っています。しすぎたら取り返しがつかなかったり、回復するのに手間や時間や神経を使ったりして、後々大変です。過保護が自立の芽を摘むのも、よく知られた話。しすぎなければ、多少の物足りなさがあるとしても(これは相手が歓迎してくれた場合)、心的負担を軽減できるから、こちらのほうがいいです。求められたら近づけばよく、求められてもないのに色々するのは、よかれと思ったことでも、いらざる世話になりかねないので(人にはいろんな事情や気持ちがあり踏み込んでほしくない理由や感情もあるので)。求めてる気持ちがあるのに、要らないふりをする。これがこどもならまだ分かりますが、いい年をした大人がそれをして、分かってほしい相手に忖度してもらうの前提でいるのは、未熟だし恥です。求めてる気持ちがないなら、それも伝える必要がある。世話をしたがる人にそう伝えると角が立つ、と要るふりをすると、その後どんどん自分がしんどくなるし、いつかは要らないと伝えなければならない。それを気にする心的負担や、実は要らない訳だからストレスがたまっているし、いつ言おうと神経すり減らすのもマイナスです。何か行動している人がいて、困っていそうであれば、なにもしないで様子を見ていてあげる、くらいでちょうどいいのではないかと^^その人は自分でどうにかする力があるのだと信じるスタンスで。静観ですね。でもこれは放置とは違うので、相手が求めてるなーと思ったり、実際に求められたら必要な行動をしたらいいと思います。
他人の窮状を知った場合、私はその人がなにを求めているかなーと考えます。放っておいてほしそうならそうするし@気にはかけていてもそれも伝えないです、表向き求めてはいなくても心の中では言葉や思い遣りをほしがっていそうなら、その人に対し、最低限フラットな気持ちを持っていた場合は、人としての思い遣りから声・言葉をかけたり、困っていて何か必要ならそれを差し出します。窮状を知らない場合は別ですが、知ってしまったからには@というと消極的に聞こえるかもしれませんが知るということとそのタイミングも必然だと私は思っているので、私が知ったからには、できることで応援したいし元気になってもらいたい。そういう気持ちから行動します。好きな言葉のひとつ「義を見てせざるは勇無きなり」に従って。なにもしないほうがいいかなと迷った時は、相手がどうしてほしいのか、相手が喜ぶことはなにか、という視点から判断します。ひとりよがりにならないように、は気をつけています^^素直に受け取り感謝してくれたらそれは御の字。そんなものいらないやい、といいながらでも、喜んでくれていたら、いいのです。でもこれが、いい年した人間で、いらないやいのポーズが過度であった場合は、あらそーですかそういう未熟なことするなら勝手にしたらいい、と放置モードでいいw私は、成熟している人@面倒でなく助け合えて楽、未熟でも成熟を目指している人@頑張ってーと応援したくなる、素直な人、がいいな^^分かりやすいって男女ともに美点です。すねても分かりやすい、というのもありますが、これはすねるのが常態化しているからであり、どちらかというと面倒くさいwので、同じすねるなら面倒だったりキモいやり方ではなく、男女ともに、かわいくすねる、のを目指してほしいです。それを考える。頭を使って。私はすねる感情ってあんまり持ったことがないのと、そのまま伝えることが多いので、おおむね、自分の意や感情に沿った、反応や言動をもらえている。ますますすねる必要がなくなる、という好循環です^^なのでこれを推奨します✨まずはすねない。すねるのであれば、かわいく^^wそのほうが建設的だし、より好きになれていいので^^どうすればいいかって?それは自分で考えてくださいwwちなみにモテる人はこういうのも双方のためになるよう的確にできるのだと思います。だからモテるのですね^^そして、思い遣りで声や言葉をかけるにしても、それが愛からの動機であれば、見返りは求めない自分でいられるはず。余剰分を差し出す@愛にあふれていたら下心なく人として愛を差し出せる、これがちょうどいいのです。自分の中に愛も余裕もないのに、あるかのように差し出してみせたら、後で自らの中に補充せねばならず、それを人様から搾取しているとしたら、本末転倒、まず自分を満たせよ、という話です。愛があるから思い遣りある行動ができる。相手に好かれようとかよく思われようという下心無しに、人として、男女問わず、自分に関わっている人の窮状に手を差し伸べられる人でありたいし、それがまったく知らない、遠く離れた、災害などにあって困っている人に対してであっても、そうありたい。その際も、しすぎて迷惑になるくらいなら、しすぎないほうがいい。しないほうがいいのではなく、しすぎないほうがいい。それも明後日の方向にってこと。心は相手を思い遣っているとして(好かれるためとかいい人アピが目的ならだめですが)、過不足なく相手が求めているものを差し出す。そのためにはどうしたらいいか、に頭も神経も使うほうがいいと思います。そして、人として気にかけたり思い遣ったりしてくれた言動を、好意があるからとか恋愛感情だと思い込んだり決めつけたりする愚をおかさないのも大事。自分の中に余裕がないと勘違いするのだと思うので、自分を満たして余裕を持つ必要があるのかなと^^