売店にあるから食べようなにがいい?伯母のおごりでみんなでソフト
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供養になると思うから頑張って完食父の通夜の弁当
逆さ水かけてる時も花入れる時も穏やか白い父の顔
思ってた以上に重い壺のなか父いる綺麗な仏の形で
年恰好似てる年配男性をみると涙が出てくるこまる
「父のこと -旅立ちの後-」
◎創作ノート<解説>
先月、父が亡くなり、その前後に帰省していました。数日間が数か月に感じるような、あっという間だけど長く濃い時間でした。家族葬だったので、本当に父と近しい人のみで旅立ちを見送ることに。父が慕っていた伯母も高齢で自身の体調もおもわしくない中、参列してくれました。葬儀の前、どうしても沈んで静かになってしまう私達と一緒にいる甥っ子を気遣ってくれた伯母が、売店に連れてってくれて、食べる?とソフトクリームをご馳走してくれることになり、私達にも訊いてくれて伯母が全員分出しておごってくれました。皆で一緒に食べたのが写真のソフトクリーム@私はいちご味。おいしい、けどさみしくて悲しい気持ちも同時にあって、忘れられない味になりました。
私はふだん、仕事の取材ではない限り、わりと小食のほうです。父の通夜の後の弁当が二段重ねで量も多く、これはとてもじゃないけど完食できないと思ったのですが、父を思いながら皆で食べる弁当、残すのも申し訳ない気がしたので頑張りました。家族が亡くなった後とはこんなにもすることがあるのかと驚くくらい、次から次に決めねばならないことがあり、葬儀はどうするのか、これはするのか、あれは頼むのか、など母と妹と私で相談しつつ、葬儀会社さんと打ち合わせ。その間も、自分の頭や体はここにあるけど心はここにないような不思議な感覚で。葬儀会社のご担当者のお話だと、今は没後の医療機関での清拭のみのかたが多いそうですが、葬儀会社さんに湯灌をお願いしました。湯灌をする際は本当に近しい人だけしかその場にいないとのこと。初めてその場に立ち会ってみて、なるほどと納得したし、そうあるのがふさわしいと実感しました。湯灌は残された親族の心のケアにもなると言われているらしく、して頂いてよかったなと思っています。父は骨の形がしっかり残っていて、喉仏の骨がとても綺麗でした。大柄な父がこんなに小さくなってしまったのだなと、目の前の事実からくるさみしさもありつつ、それでもまだ信じられないような気持ちもありました。それから東京に戻り、いつもの生活をしていても、ふと父と同年代だったり姿の似ている年配男性をお見掛けすると、条件反射のように父の姿と重なり、どこにいても涙があふれてくるのにはこまります。現在進行形。これをそのまま詠みました。ただ、こうなるということは、父の不在を、もうこの世にはいないのだと、私自身が受け入れているからだと思うと、それもさみしいのです。自然にまかせていこうという気持ちでいます。。