今の私ができるまで vol.2

教育実習では、担任だった先生が指導を
担当してくれて、いろんなことを教えて
くださった。

教員としてというよりも、社会人として、
会社員として働く時の心得や実務なども。

言われたことをしながら、ぼそっと冗談
めかして「私、教員になりたいんですけど」
というと「きっと役に立つと思うから」と
先生。そういうものかと想いながら粛々と
作業を進めた。

教員になってもいいし、会社員でもいい、
適性はあるからそのさらに上、どちらでも
通用する人間にとの想いからだったようで。
(ちなみに、高校卒業時にも先生は身に余る
言葉を私にくださっていて、在学時の助言
と合わせて、今でも心に残っている)

教育実習時もかなりスパルタだった。
(授業計画プラスでいろんな仕事をするよう
指示されていて、このハードさ、実習等を
した経験があるかたなら、少しは分かって
くださるかと想います…)

私を見込んでくれているからこそだと思い、
必死でついていった結果、きちんとすべて
クリアでき、すごい達成感だった。これも
先生から頂いたもの。今でも感謝している。
(先生は後に私の母校の校長先生になられた
かたで、先生の話もまた書けたら書きたい)

教育実習期間(の思い出もいろいろある)を
無事終え、卒論も進めつつ、就職活動を
していく中で、今考えても面白かったのが、
教員ではないほうに流れが出来ていった、
ということ。

試験にしてもそうでいろんなタイミングや
受験日時などが、学校とのやり取りや体調
で受けられないとか、ちぐはぐな感じで。
どうしてかなと想いつつ、今できることを
していようと、入っていたバイトや卒論に
力を入れた。
*生徒たちに「先生(私)は自分らみたいな高校生じゃなく
幼稚園とか保育園の先生が向いとるとおもうよ」と言われ、
自分でもメンタル面で教員を続けるのが難しかったかも…と
おもう(生徒は「自分らみたいな大人に近い生意気な人間の
相手をするより向いてるの
では…」と気遣う意味で言って
くれた)のと、このブログや今のお仕事をはじめるきっかけ
になった手相を見て頂いた
時、まわりを「教え導く人」で
職業のカウンセラーではなく (それ以外にする仕事がある
からと)「身近な人に
とってのカウンセラー」と言って頂き、
より多くの場で知識や経験を伝える、人に寄り添う伴走者、
としての役割が私にあるから
かなとおもっています。。

友人たちの就職活動の進捗なども聞いていて、
葛藤、悩み、迷い、競争、無価値感などの
心境を私はただただ、うんうん…と聞くだけ
だったが、話して良かった、といってくれて
とても嬉しかった。

友人達は「美穂ちゃんなら大丈夫だと想う」
と言ってくれていて、先生だけでなく友人も
私を認めてくれ、高く評価してくれていた。
そのことを今こうして書きながら想い出し、
ありがたいなーと感謝している。

ふだんポンコツでボケボケな私のフォローも
いっぱいしてくれた、可愛くて賢く頼もしい
友人達。私はほんとまわりの人に恵まれてる。

話を戻すと…。

みんなそれぞれの進路(就職する・しない等)が
決定していき、私の進路は決まらないまま、
年が明け、卒業する年を迎えた。
高熱で数日寝込んだ後、人生の転機が訪れる。

学生課に行ってみたら、求人票が出ていた。
見ると、出たのは私が寝込んでる間だから、
もう数日たっている。

有名な企業(商社)名…誰もが知ってる社名の
文字を見て、おぉ!と思ったものの、かなり
応募が殺到し、もう締め切っているかなと、
訊いてみたら、応募はその通りだけど受付は
まだしてますとのことで、履歴書を出して
おいた。(この履歴書は大学独自の書式。
かなり詳しく記載する書式で、成績も一緒に
伝えられることになっていた)

そうしたら連絡があり、面接を受けた後
「合格」の通知を受け取る(採用枠は1人)。
すごく嬉しかったし、夢みたいだと想った。
でも夢じゃない。現実。

入社後に聞いた話では、受付した成績優秀者
から候補を選出し、最終的に面接で決定する
ことになっていたそうで、私は補欠の枠に
いたそう。(他大学も優秀な学生が多数応募+
同じ学内でも私より優秀な子はいたから、
そうだろうなーと想っていた)
ただ、面接の受け答えと内容で、全員一致の
即決だったとのこと。すごく嬉しかった。

私の会社員人生のスタートはこんな感じ。

その後、契約社員、派遣社員を経験して
会社員人生はひとまず終了となる。
(営業所の閉鎖で事務職の正社員は退社など
いろんなことがあったのを想い出す)

振り返ると、これまでの人生で
正社員、契約社員、派遣社員、パート、
アルバイト、という雇用形態を経験した。
どの立場どの職種も本当に勉強になったし、
どこでも大事なことはなにか、も体得出来た
気がしている。周囲との調和など。

ここで派遣社員の時の話を…。
派遣社員になったのは正社員からの転職で、
初めて派遣という形態で働いた時のこと。

当時は社名を知らないまま、条件だけ聞き、
働く意思があり採用試験・面接を受けますと
言った後で、社名を明かされていた。
(私のいた派遣会社だけかな。他社は不明…)

なにも分からないので、会社の就業条件を
聞いて、面接を受ける旨伝えると、ここも
また大手の企業(メーカー)だった。

社名を聞いて驚いたものの、
派遣元の社員さんの期待、それだけ私を
見込んでくださったのだと分かり嬉しかった。
面接後、無事採用の知らせを受け働き始める。

半年更新、紹介予定派遣(正社員になるのが
前提)ではない、ふつうの派遣社員としての
勤務。…だったが、またここで転機が訪れる。

半年が経つ頃、当時の派遣先の上司から、
「社員として働く気はないか」と打診された。

私としてはとても嬉しく、自分はそうしたい。
けど派遣元の社員さんに話を通すべきと想い、
打診されたことを伝えたら、すごく喜んで
くださり、うちの会社としても光栄で嬉しい
ことなのでぜひ、と言ってくださった。
(派遣先の上司からも、派遣元の社員さんに
筋を通す意味で話をしてくれていた。)

派遣先の上司は、派遣社員(私)を社員にしたい
と本社に伝えたところ、前例がないと言われ、
それでも引き下がらず、稟議を上げてくれた。
本社の回答は、皆と同じ入社試験を受けさせ、
パスしたなら採用を認めるというもの。

上司は自分の一存ですぐに採用できないこと、
試験をパスしてから、になったことを申し訳
なさそうに言ってくれたけど、私は
とても嬉しかった。

自分のためにここまでしてくれる人がいて、
このような機会を与えられたことが。
それだけで十分すぎるほど光栄で喜ばしく、
その結果がどうであろうといいと思えたから。

試験を受けた結果、
採用となった時はすごくほっとした。私を
認め、評価し、尽力してくれた上司の期待に
応えられ、派遣元の社員さんに良い報告が
でき、自分にこのような幸運が訪れてそれを
現実として形にできたことに。

その後、職業訓練校へ行く&転職してまた
派遣社員としていくつかの職場を経験し、
私の会社員生活は完了。
あれから20年くらいたつけど、当時の経験は
今の私に強く影響しているなーと想っている。

社会情勢などいろんな要素、条件がある中、
派遣という雇用形態が生まれ、自分もそれを
経験して思うのが、やはり、
お互いがいい状態で少しでも長く一緒に働く。
そうしたいと双方が想える関係性を築く。
それに自分も貢献するのが大事。ということ。

これは派遣に限らずそうかもしれない。

環境が思わしくない、同僚や先輩との関係が
うまくいかないのであれば、ではどうしたら
よりよくなるのかを考える。自分の立場で
できることがあればそれをする。提案する。

被害者意識を持つ・受け身でいる・上司や
まわりを批難する、のでは変わらない。何も。
納得いかないことを理不尽と感じるだけでは
解決しない。

(たとえば正社員と派遣の立場の違いを全員が
理解してない職場だと、正社員と同じ責任や
職務を求められることも多々あるし、割に
合わないと感じることもあると想います。
でもそれでも。不満を言うだけ、の理由には
ならない)

全体の中の一個人。全員の中の自分。

職能があるのは当然として(その研鑽や
勉強など、向上のための日々の努力も)、
本当の意味で人をたてる、調和することを
心掛ける、これを意識してできていないと
どこにもいられないのではないか。長くは。
どのような理由をつけても。
とくに民間の場合は。基本どこでもそう。

いや私は長くいたことがある…というなら
まわりの人達がどんどんやめていくことが
多かったのではないかと想う。
(私のいた先の職場ではないですが、
そういう職場も見て聴いて知っているので。
良識がないか欲がすごく強いと、無自覚でも
自分自分..になってしまうから、まわりの人
の立場や心情に思いを馳せられない、
できない印象で、そのようなかたが
自分は長くいると自慢していたりしますが、
それは自慢にはならない。その人の周囲が
「一緒に働きたくない人が居すわるなら、
自分がやめるしかない」と圧を感じて退職、
身をひいただけということも多いから)
*こういう退職、ほかの人も、私も経験あります。。

自分がいる場所をよくしていく。
それに貢献できる自分でいる。
まわりの中の自分、なので。

職能があるのは当然として、その職場で
「必要とされる人」
「いてほしいと思われる人」というのは、
職能以外、が備わっているからだと想う。
主にあり方、人柄、人間性。

慕われていた人を思い出しても、職能+
謙虚さ。向上心。愛があれば求められる。
どこにいっても。いてほしい人材となる。
必ず。そういう人は職場も手放さない。
いられる環境を整えてでも、そうする。

そこにいられないなら、厳しいようだけど、
それがない、そうじゃない人。ということ。
目の前の現実が自分の姿を示してくれる。

これまでご縁があって働くことになった
職場で必要とされ、ありがたいことに長く
いてほしいと言われる中、自分の意思と
これからについて考え、自分で進退を決める
ことができた経緯にとても感謝している。
まわりの方々のおかげだから^^

必要とされない現実をごまかすより、
つまづいた、職場で認められない…なら
謙虚な気持ちで自省し、
自分の特性(長所・短所)をきちんと捉え直す
ほうが今後のためにもいいと想う。
ぬるま湯につかっていても、言い訳と
よく「見せる」ことだけ上手くなっていく
気がするから。

それで同調してくれる、表面しか見ない人
には通用するかもしれないが、世間一般、
良識ある世界では通用しない。
それでもいいならそこにいたらいい。

私は本物でありたいし、誠意や愛を重視し、
見せかけではなくあり方で体現する人の
世界で生きていきたい。実際ありがたいことに
今いる世界はそうなので継続していこうと想う。
私を必要としてくれる、関わってくれる方々に
感謝しながら。

この後を書くなら、フリーランスとして
仕事していくことになった経緯とかかも。
また気が向いたら書きます。。