複数の事象がこんがらがって
分からなくなったとき、
物事を冷静かつ客観的に見て
判断するのが難しくなります。
そこに感情がのると、
事実を解釈する際にゆがみや曇りが
生じ、傷つきたくないのに、わざと
そうするような考えや
(傷つく前に自分で傷つける)
偏りすぎた見方で自分を追い込む、
ということもあるかと思います。
そういう時に私は
俯瞰してみることにしています。
図に描いてみるのもいいです。
相関図でも。
そしてその図や相関図を、
脚本家になったつもりで
冷静に見てみるのです。
起きたことを冷静かつ客観的に
少しはなれたところから
見てみます。
すると、
今まで見えなかったものが見え、
分からなかったことが理解でき、
前よりはよりクリアに判断する
ことができるように思います。
事実をどう解釈するか。
そしてその解釈ができるだけ多くの
人々にとっても見当はずれでなく、
かつ今後の自分にとってのプラスに
なるように。
そのためには、客観性のある
希望的観測が必要になってきます。
わたしとしては、
究極それすらどうでもいいのでは?
とも実は思っていますが、
理性優勢になりがちの人だと
この方法が取り入れやすく、
感情優勢になりがちの人は
取り入れるのが難しくても、
訳の分からない漠然とした不安から
逃れる根拠になり得るかと思います。
行動はその人の本心を表している、
といいますね。
でも人は行動より言葉に惑わされる
ことが多いと思います。
表面的な言動に。
言葉を発する時、
自分でも本当の感情を
分かっていなかったり、
無自覚なまま、そうではないのに
そう思いたいことを言っていたり、
都合が良いから(一見ラクだから)
本心とは全く違うことを本心で
あるかのように思い込んでいたり、
ということがあります。
(私もそういうこと多々でした。
今も多少あるかと思います)
それをどこまで見抜けるか、
感じられるか、ということが
大事になるのかなと。
言動の奥を見て感じる。
そのためには、
俯瞰してみよう!という提案です。
メリットデメリットを列挙して
比較し、判断する。ということは
理性的ではありますが、感情を
置き去りにしがちです。
感情のままに判断すると、
予測や努力によって回避できたかも
しれない困難が出てくる可能性が・・・。
理性と感情の間に答えがあります。
感情が出した答えを、
理性によって(納得し)現実化させる、
ということかな、と。
そしてこれも大事。
分からないこと、
予測できないことは、考えない。
ついこれをしてしまいがちですが、
(私もよくやります)
無駄なことが多いです。
確かめない限り分からないこと、
また、それを根拠にしないと
導き出せないこと、はもう、
ほんわりと「そのまま」にする。
なんでだろーねー(*´ω`)ネー
分からないねー(´ω`*)ネー
でいいんじゃないかと。
ある程度まで考えたら、その先は
「分からないねー」で。
でもわりとそれで救われたり、
何もしなくても後で解決したり、
ということがあるんですよね。
自分も、相手も、その他の人も、
追い込まない。
その上で、
冷静かつ客観的に判断したら、
後は天におまかせーで。
悩んでる時間があったら、
部屋の掃除でもして、
綺麗な部屋でおいしいもの食べて、
ぼーっとしてる方が
はるかにマシです。たぶん。
・・・とはいえ、
それがすぐできれば苦労はない、
ドキドキしたり苦しかったり、
と最初は難しいかもしれません。
私もなので、それも分かります。
でもでも、
そんなに自分をいじめないで、
自分がラクになれることや、
元気の出ることをしながら、
ちょっとだけそこからはなれて
みてもいいんじゃないかな、と
思います。
俯瞰してみよう。
理性と感情の間にある答えを
見つけるためにも。
答えがなくても、
ないように見えても、
大丈夫です。
どんなこともきっと
一番良い未来に繋がっている、と
ゆったり感じていればいい。
そう思います。