表現について ~主に言葉や伝え方のこと~

事実がひとつでも
解釈はひとつじゃない。
人の数だけある、
と言ってもいいくらいに。

ある人がいて、
あることがあった。
とする。

——

それについて。
Bさんはある人を
ダメな人といった。
Aさんはある人を
悩んでいる人といった。

Bさんは
何をしても無駄だといった。
Aさんは
待ってみたらといった。

ここで注意したいのは、
BさんもAさんも
わるくないということ。

それぞれの経験からなる
価値基準・判断で
そう発言しているにすぎない。

ある人、あること。
それらは全く同じ。
解釈が違うだけ。

そしてここで大事なのは、
自分がそれを聞いてどう思い、
判断し、行動するかということ。
BさんもAさんも、
ここではもう関係ないのだ。

それぞれの発言。
それを聞いた時の
自分の感情、反応。
思考した後でどうしたいのか。
まず自分ありき。

それぞれについて
検証してみる。
ほんとにそうなのかと。

時間をおいて、
現状を判断材料に加え、
また同じことを繰り返してみる。

そこからその時の結論を出す。
必要ならば行動する。
またはしない。

自分が決めたことなら
ここに後悔の存在する余地はなく、
どのような現状も受け入れる覚悟
だけがあり、
それは安定を意味している。

安定とは自分が幸せだ、
と感じる心であり、
幸せを感じる状態であり、
どうあっても
幸せにしかなり得ないという
自分への信頼だ。

それで思ったのは、
場合にもよるかもしれないけど
私のスタンスや好みは
Aさんと似ているなと。

それは期待ではなく、
どちらかというと信頼だ。
自分を信じることで得られる
他者への信頼。
可能性への信頼。

助言や意見で心が波立っても、
それが自分への愛からの言葉か、
単に野次馬根性なのか、
その人自身が満たされていない
現状への不満から
対抗心を持っているだけなのか、
先に言った通り、
解釈の違いなのか、
発言の真意や根拠が分かるはずだ。

もっともらしい意見であっても
あなたが取り入れるかどうかは
あなたが決めることであり、
発言者の影響力や地位などは
関係ない。

愛からの言葉なら、
受け取って感謝し、
自分が思うように生きる姿を
見てもらえばいい。
幸せだという姿を。

—–

ある人がいて、
あることがあった。

その時、
自分はどう解釈するか。
それこそが
自分の世界を構成する。
現実を変える。

もしくは
思い込んでいた現実が
実際はそうではなく、
自分に優しいものであった
と知る。

本当はそこに愛がある
ということを。
思いやってくれていた
ということを。

たとえそれが
過去のことであっても
ありがとうと感謝した時に
それは佳きものとなり
今のあなたの糧となる

都合の良い解釈、
事実と違う・・
そう言い切れる、
言い切って良い存在など
いない。
あなた以外に。

解釈はあなたのもの。
事実がひとつでも
解釈はひとつじゃない。
人の数だけあると言っても
いいくらいに。

だから私は
言葉や伝え方が大事だ
と思っている。

表現によって
救われる人がいる。
表現によって
奮起できる人がいる。

それならば
希望を、愛を、可能性を、
示していきたい。

冷や水を
ぶっかけるものではなく、
あたたかな安らぎや、
熱い情熱の炎、
救いとなるような共鳴を
触れた人にもたらす、
そんな表現を。