私は小さい頃から
わりと姿勢が良い方だった
先生にも褒められていたし
社会人になってからも
知人や見知らぬ人から
そう言われることも多かった
だが
結婚して数年たったある日
撮ってもらった写真を見て
驚いた
姿勢がよくないのだ
ひとことで言うと
「猫背」だった
ショックを受けた私は
猫背を改善すべく
家事をするとき
猫背にいいという
たすきがけをしたり
曲がってるなと気づいたら
背筋を伸ばすようにしたり
していた
—–
そんなある日のこと
TV番組を見ていたら
猫背について話している先生が
おられた
細かい部分は覚えてないけど
概要はこう
主婦の人は日々の家事で
うつむく時間が多い
今まで一所懸命に家事をしてきて
その時間が長ければ長いほど
猫背になりやすい
猫背だなと悩んでいる方がいたら
今まで自分は家事やいろんなことを
頑張ってきたんだなと
まずはそう思って欲しい
という内容だった
すごく嬉しかった、と同時に
猫背の自分を恥ずかしく思い
責めていたことに気付いた
猫背の人全員がそのせいとは
言えないかもしれないし
背筋をぴんと伸ばした人の方が
見ていても美しい
本人の体的にもいいのだろう
そうなるよう改善できたらいい
(私の場合、人間ドックで側弯と
言われたのでこれもあるかなと)
だけど
猫背である自分を
ものすごくいけないことのように
思わなくていい
それだけでふっと心が軽く
あたたかくなったのだ
そっか
楽しみながらとはいえ
私けっこう家事頑張ってたもんな
専業主婦だった私は
一日のうちかなり長い時間
うつむいて色々していた
料理やおやつ、洋裁など
どうやったらもっとヘルシーで
美味しくできるかレシピを考えたり
型紙おいて布を裁って縫ったり
好きでやっていたことだけど
それで今「猫背」になってるなら
それも私だもんなーと
猫背はよくない
猫背はみっともない
うんそう
ほんとにそう
だけど物事には
そうなるに至った経緯があり
これまでの自分を否定する必要はない
それに気づけたらラクになれた
今もふと
猫背になっている自分に気づいたら
背筋を伸ばすようにしている
姿勢をきちんと学びたいなら
レッスンを受けるのもいいだろう
私も単発だけど10年ほど前に
ウォーキングと姿勢のレッスンを
受けに行った
とはいえ写真を見ると
うっかり猫背になっている時もあって
またやっちゃったなーと
骨の髄まで身につくには
まだまだなようだ
—–
ぴんと伸びた姿勢は美しい
それは本当にそうだ
そうだといいなって思う
だけど
猫背のあなたにも良さはあり
猫背のあなたにも一所懸命
生きてきた歴史がある
猫背でもいい
そう思ってもいいんじゃないかな
徒然草の「花は盛りに」の
「花は盛りに 月は隈なきをのみ
見るものかは」という文を
思い出した
花は満開のときだけを
月は曇りがないものだけを
見るものだろうか
(いやそうではない)
という意味
確かに満開の花
(ここでは桜と解釈)が美しく、
曇りなき満月が美しいのは
当然として、
それだけがいいのかというと
そうじゃない
その他のものにも
美や風情を見出す、
兼好の視点や感性が素敵だなと
より良くあろうとする
それは素晴らしく正義だ
だけどそれができなかった
できていないということで
そうなるに至った自分を
今の自分を
むやみに否定する必要はない
ような気がする
猫背で写っても
背筋を伸ばして写っても
どちらでもいい
とフォトグラファーの私は
思ったりするんです
病気や老化で猫背なら
仕方ない部分があるし
そうじゃなくても
猫背を恥ずかしく思うなら
正すもよし
正さないのもよし
そんな風に考える方が
なんだかみんなに優しいなぁと
思ったのです
今の猫背気味の自分にもね^^