きゅうりのぬか漬け、です。
ぬか漬け大好き。
今回のは自分で漬けたもの。
おいしく出来ましたー。
といっても、私の手柄というよりこのキットのおかげ。
デパ地下で偶然発見してからずっと気になっていました。
有機米の米ぬかを使っている、というのが安心です。
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先日スーパーできゅうりのぬか漬けに目が留まりました。
「あ~久しぶりに食べたいなぁ」と、早速購入。
にしても中々良いお値段・・それなら自分で漬けてみよう!と思い。
ぬか床導入の良いきっかけになりました。
実は結婚当初、一時期ぬか床を持ってたんです。
が、なんせ引越しが度々あったので、持っていく段階で断念。
それ以来手を出さず、のまま今まで。
過去には三五八漬けも漬けましたし、梅干しも作ってました。
でもこれらも、ぬか漬け同様の道を辿り・・。
引っ越しで持っていくのが大変(というかほぼ不可能)。
引っ越した先のベランダが狭く、梅干しを干すスペースがない。
我が家は夫が漬物全般苦手なので、消費するのは私一人。
自然、熱意消失と共にそこまでして食べたいか・・という気持ちに流れ。
だったんですが。
久しぶりにぬか漬けを食べたら、なんだか体の調子が良い!
自分の体に合っているようなので、一人分でも作ろう~と強く思い。
今回再び、ぬか床ちゃんを我が家の仲間に呼び入れた、という訳です。
このぬか床、捨て漬け(あらかじめ野菜を入れて発酵を促す)済み。
だから改めて捨て漬けする必要がない!
すぐ漬けて、すぐ食べられる!!
なんとまぁ最近は親切になっているんだな~と感心。
簡単な説明書きも入っていたので・・。
何の不安もなく漬け込む事ができました。
漬けている最中はてんやわんやで手もぬかだらけだったので。
写真はありません。これは無事漬け終った状態。
手でならすのがとても心地良いんですよね~、ぬか床は。
早めに漬かるよう半分に切っていれたので、数時間で大丈夫なはず。
お~良い感じ。
早速取り出して頂いてみましょう。
まず、小口に切って。
ぽりぽり、しゃくしゃく。
この独特の食感と、ぬかの風味がいいです。
ほんのり感じる酸味も、ぐー。
あぁ、おいしい!これはいい!!
ダメ元で、漬物苦手な夫にすすめてみました。
すると夫、「おいしい」とのたまうではありませんか。やったー!!!
苦節10年、ようやく夫も食べられる漬物が出来た・・。感無量です(大げさ)。
単に夫が年をとったからか、このぬか床が良いだけか。
と思うのですが・・(たぶん、そう)。
そこはそれ。目出度いんだから、いいのです。素直に喜ぼう。
数年ぶりに復活した、ぬか床育て開始・・。
きゅうりのぬか漬けでリスタートです。
ありがとうございます。
故郷・広島で新婚生活をスタートした頃、ぬか漬けと梅干しを作り始めました。知り合いの、わが母と同年配の方にお礼する事があり、たまたま梅干しが出来たところだったので少し差し上げたところ、「若いのに梅干しを作るなんて珍しい」と言われました。「いや、そんなに若くはないんですけど・・(苦笑)」と話したのですが、祖母や親戚も梅干しを漬けていたので、余り深く考えず、結婚したら自分でもやってみようと思って作っていたんですね。でもやはり、梅の土用干しにはある程度の広さが必要なので、広島から引っ越すと同時に梅干し作りはお休み、となり、今に至っています。その点、ぬか漬けだと冷蔵庫に入る容器で手頃なサイズを選べば、スペースも気にすることなく、手軽に作ることができます。ぬか漬け生活を復活できたこと、本当に嬉しいです。。
~ある日のつぶやき~
「何も言わない」「何も問わない」ということ。これは見守る、静観する、ということであり、愛のある行動だと思っている。たとえば、久しぶりに会う人の体型が少し変化していたり、肌荒れしていたり。それに気づいても、当の本人が話し出すまではこちらからは敢えて問わないようにしている。といっても臨機応変で、問うた方が良いと直感的に思った時は、やんわり訊いてみる事もある。でもそれはまれだ。私自身、体調を崩し、あきらかに見た目からもそれと分かる状態で、友人・知人に会う事もある。その時、相手からは何も訊かないでいてくれる方が、やはり有難い。理屈というより感情の部分で、かもしれないが。でも何も言わなくても心から心配してくれているのがこちらに伝わった時は、良くなってきた時に連絡したり、する。話せる範囲で詳しい話もする。ただ、おためごかしや親切ぶった問いかけで、本当は興味本位でしかない、上っ面だけの心配していそうな言葉・・これらを聞くのが苦手だ。とはいえ、相手に「何も言わない」ことが、単に怠惰や面倒な事に関わりたくないだけ、というものであるなら、それは私の良心に反する。時に、都合良く「敢えて何も言わなかった」という人もいるが、その本心は相手に伝わっているものだ。本心同士の感応を馬鹿にしてはいけない。相手を思いやるのは真摯で尊い事であり、軽々しかったり、分かるように知らせる類のものではない。時間がたって、貰った愛に気づく瞬間もある。その時はいくら時がたっていようと感謝の気持ちを捧げたい。たとえ相手に直接届かなくても、もしこの世にいなくなっていても、遅すぎるという事はないのだ。。