被写体としての身体 ~客観性と美意識など~

 

新宿御苑にて。ロケハン中の私。

被写体として
自分が写真に撮られることを考えると、
あーもう少しこうだったらなーという、
自分の理想の姿って、イメージとして
誰にでもあると思うんです。

よく聞くのが
「やせてから撮りたい」という言葉。

うんうん、分かる。
少しでも自分的にベストな状態で
撮りたい。その気持ち分かるんです。

でもね、その時って中々こなかったり
するじゃないですか(笑)

撮影時に、
角度を変えたりするだけで2~3kgは
やせて見えるように撮れるので、
それくらいの希望の場合はもう
そのまま撮影しよー!
カメラマンに任せちゃえー!!って
思います。

なので、プロに任せてみてください。
そのままでまずは撮ってみましょ(^^)/

「お、私イケてんじゃん!」と
改めて思うかもしれませんし、
そこから「もっとこうしたい」とか、
「こういうの撮りたい」という希望、
イメージが湧いてくることもあると
思うので。

—–

で、こっからが今回の本題。
被写体としての身体について。

ちょっと正直すぎというか、
やんのかコラ!と思われる方が
いるかもしれないんですけど、
敢えて言う。

被写体として考えた時、
それが自己肯定感をあげるため、とか
自分の記念、とかじゃなく、

“鑑賞用として人様の目にさらされる”、
もしくは”さらすつもり”、で撮るので
あれば、身体はやはり、より綺麗と
思える状態で撮るのが、尚いい、
と思います。(言った!)

「鑑賞用」「作品」として、
撮るのであれば、です。
そのつもりで公開する写真ならば、
です。

<余談>
ここで、独断と偏見ですが、
パーツごとにある私の好みを少しだけ
言うと・・・。
*ここで言っているのは女性です。

肩なら、少し骨の形が分かるくらい。
ノースリーブなどを着たときに、
ななめ後ろからみて、肩の骨がカリっと
出ているのが好きです。
(大丈夫?ついて来れてます?笑)

足であれば、
適度な筋肉のつき具合と、引き締まり。
ひざと足首の部分がきゅっとしていたら
いいなと思います。
(ひいた人、戻って来てーー!w)

本題に戻りますね。

なんというか、
客観性と美意識ってすごく大事だと
思うんです。

あらゆる造形物に美を見出すことは
可能で、それこそが個人の好みである、
と承知しています。
パーツだけでなく、トータルの雰囲気
や、イメージもありますし。

でも、黄金比率や均整のとれた体、
バランス、
多くの人が「美しい」と思う女性、
というのは確かに存在している訳
です。

それはどこがどう違うのか。
どうしてそう思われるのか。
ここに注目したいのです。

世の中に出す、
公開するということは
批判を含むいろんな感想を
言われる場所に出る、ということ。

褒められるかもしれない。
そうじゃないかもしれない。
それらどれをも甘んじて受ける。
そういうものだと。

それなら、
鑑賞用or作品の被写体として
出すのであれば、
やはり身体そのものも、
より綺麗な状態が望ましいなと
思うんです。見る側にとっても。

綺麗の基準は千差万別で・・という
“きれいごと”ではなく。

長々書いてきましたが、
鑑賞用なら、作品なら、
綺麗なもんが見たい。それだけです。

綺麗になりたい、
綺麗な状態で撮ってほしい、という
願いやモチベーションは大事で、
それによってより”綺麗”になった
身体を撮るというのは、
被写体としても、
撮る方としても、
見る側としても、
良いことなんじゃないかと。
三方良しで(ちょっと違う?笑)。

私もいつか、
作品として公開できるような写真の
被写体になれるよう、
綺麗を目指して励みたいと思います。。
(まとまったかな)