制限せずに受け取ること

仕事関係で感じたことから考えた。

ちょっとスムースにいかない、
働きかけたが、表面上何も起きてない、
というだけですぐ諦めるのは、
果たして正しいのかということ。

たとえば、
この仕事ができたら嬉しい!など、
心が大きく動いたとき。

感じた気持ちをないがしろにせず、
その時々の気持ちに沿って行動する。
自分から働きかける。

たとえ、何もしない方がよっぽど楽で、
何の痛みも伴わないと分かっていても。

その時なにかを感じた自分の心を
尊重する意味でも、
必ず自分からアクションを起こす。

はきそうなほどの緊張があっても、
そうする。そうしてしまう。
(ドMなのかなと思わなくもないが 笑)

なぜならその先の自分が見たいから。
充実し、満たされて喜んでいる自分を
生きてる時に体験したいから。

今の自分の少し先に、なりたい自分がいる。
そこに焦点を合わせ、
そっちの自分で行動を先取りする感じ。

ことばにすると、
ご大層に聞こえるかもしれないが、
わりとすぐ判断して実行する。

悩みだすときりがなく、
優柔不断な部分があると自覚しているので。

感覚としては、 ふわっと
「あ、やってみよう」と思ったら、
そう感じた気持ちのまますぐ行動に移す、
という感じだ。

行動した後は、返事を待つともなく待つ。
そこにフォーカスしすぎない。

向こうは一日に何件も連絡を受けていて
スルーすることも多いのではと思う。
だが、そうじゃない可能性も考えている。

このときの気持ちの保ち方が大切だが、
自分をギリギリしめつけず、なんとなく
こうなったら嬉しいなというテンション
を保つのがいい。
(何か別のことで忙しいとかがベスト)

————

そうこうしているうちに、
いろんな有形無形の流れが整い、
機が熟した時、
目の前にポンッと何かが現れる。

それは、
神様からの私へ与えられた贈り物だと
思っている。

行動後、
表面上なにも起きてないように見える
のは、実は色んな準備が整うために
必要な期間だった、
ということではないか。

ただ、当初予想していたものとは違う
結果の場合もある。

でもそれが、自分の予想より
はるかに良いものだったらどうか。

むしろそっちの方が自分にふさわしく、
起きることとして多いのでは、と思う。

自分が考え得る最良の結果って、実は
たかが知れている。

現実は思った以上に素晴らしく、
大きな喜びにあふれている。

受け取るものを、自分で制限せず、
なんでもきてーという気持ちでいると、
「えーすごいんですけど、これ!」
というものがやってくる。

・・ということを先月体験し、今、
その仕事の下準備に取り掛かっている
ので、書いておくことにした。

(砂金みたいな嬉しいことの影には、
反応なしというものも当然ある。笑)

やってみて、そこからどうなるかは、
いろんな条件が絡むから、
自分ではどうにもできないことが多い。
なので必要以上に落ち込まなくていい。

制限せずに受け取ることを自らにゆるす。

これは、
結果はどうあれ(ともなわなくても)
自分は自分が好きだ、と認める気持ち
から生まれる。
自分を大切に思う気持ちでもある。

そして、
自分はそれ・・欲しかったもの、
またはそれ以上に素晴らしいものを
享受するにふさわしいのだ、という
気持ちを持つ。持っていいのだ。

豊かなものを、
躊躇することなく受け取ろう。
それは、
あなたに与えられたものなのだから。