これからについて ~食べ物写真とポートレート~

私は今、食べ物の写真を撮っている。

自分の興味ある被写体が食べ物なのと、
それに特化することで、違いを打ち出し、
仕事にしたいと思ったからだ。

オールラウンダーではなく、
体力のない女性である私が、どうしたら
自分なりの仕事をしていけるか、
ということを考えた結果こうなった。

「ほかのものは撮らないのですか」
とよく訊かれる。

「はい」と答えているが、
撮っているものはある。
ポートレートだ。

といっても、家族オンリー。
スナップのようなものも多く含むため、
作品というより、日常や非日常の風景の
記録、という意味合いでのものだ。

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時間は流れていく。止まることはない。

その流れの一瞬、
もう絶対に後戻りできず、
経験できない一瞬を切り取って残す
ことができるのが写真だ。

食べ物は「食べたらなくなる」
ということが最高に格好良く、美しい
と思っている。
そこに魅せられていつもシャッターを
切っている。

じつは人も同じで、
皆いずれはこの世から去っていく存在だ。

生きているということは、
毎秒ごとに新しい時へと移動している
ということである。

そのかけがえのない「今」を残し、
記憶に焼き付ける一助となるのが写真、
ポートレートだ。

で、私が撮っているポートレートは
家族のもの。

自分のまわりにいる大切な人達のそれ
である。

全く知らない人をいきなり撮る、
ということができない。
逆に言えば、
自分の好きな人しか撮れない、
ということになる。

これでは仕事にならないので趣味の範疇、
身内だけで見ていればよい。

それで、撮影するのは食べ物写真だけ、
という回答になっている。

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ただ、最近興味があるのは、
「食」周辺の人々を撮影すること。

シェフ、お客さん、農家の人、などなど。
「食」まわりの人たちの姿を、
写真におさめていくことができたらな、
となんとなくだが思っている。

とりあえずすぐできることとして、
いま時々やっているのは、
身内の食事風景を撮ること。
これが結構面白い。

学生時代に
「人のどういうところを見るのが好き?」
と友人から訊かれ、
「ものを食べている姿」と答えた私。

もう筋金入りのくいしんぼである。
人が食べてる姿まで好きだなんて。
我ながらおかしいが、仕方ない。

人が食べる姿って、
時に元気付けられ、時にかなしく、
時に笑顔にさせられる。

食べ物写真とポートレート、
私なりの視点で融合しながら、
撮影して行けたらと思っている。

自分がわくわくするようなことを
仕事と並行して続けていきたい。